(読み)ブ

デジタル大辞泉 「部」の意味・読み・例文・類語

ぶ【部】[漢字項目]

[音](呉) [訓]べ
学習漢字]3年
〈ブ〉
全体をいくつかの範囲に分けたうちの一つ。「部位部品部分一部下部外部各部患部局部後部細部市部上部深部全部東部頭部内部腹部
役所・会社・団体などでの組織区分。「部下部隊部長学部幹部支部本部民部・編集部」
物事を整理するための種類分け。「部首部門部類
同類の人々の集団。「部族
クラブ活動をする団体。「部活/野球部」
出版物の一まとまり。「部数残部大部
〈べ〉古代、職業をともにする人々の集団。「語部かたりべ品部しなべ・ともべ
[名のり]きつ・もと
[難読]部曲かきべ倶楽部クラブ服部はとり部屋へや

べ【部】

大化の改新以前、大和政権に属した人々の集団。朝廷・皇族・豪族の支配のもとに労力や貢物を提供した。朝廷に属する品部しなべ馬飼うまかいなどのように職能名をつけてよばれ、皇族に属する名代なしろ子代こしろや豪族に属する部曲かきべは、それぞれ穴穂部・蘇我部などのように皇族名や豪族名をつけてよばれた。改新後に部の制度は廃止されたが、一部は品部・雑戸ざっことして存続した。とも。

ぶ【部】

[名]
物事をいくつかに区分した、その一区分。「昼の」「じょう
著作などをいくつかに区分した、その一区分。「春の」「三作」
官庁や会社などの業務組織の区分の一。一般に「課」の上。「新設の」「総務
会社や学校などで、同好の者が作るスポーツや文化関係の団体。クラブ。「サッカー
[接尾]助数詞。書物や新聞などを数えるのに用いる。分冊のものは一揃いで一部とする。「五〇〇印刷する」「一五冊からなる」

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精選版 日本国語大辞典 「部」の意味・読み・例文・類語

ぶ【部】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 一まとまりの内容をもつ著作、書物。冊数、巻数などに関係なくいう。
      1. [初出の実例]「つくりたる御冊子ども、古今・後撰集・拾遺抄、そのふどものは五帖につくりつつ」(出典:紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一一月一七日)
    2. 書物の分野、範囲。
      1. [初出の実例]「寛平の群書治要をさしての給ける、部せばきに似たり」(出典:神皇正統記(1339‐43)下)
    3. 書物を区分けしたそれぞれの部分。部立。
      1. [初出の実例]「連歌の一座にも、哀傷の部は、はや絶たる分也」(出典:五音曲条々(1429‐41頃))
    4. 集団の組織を区分けしたもの。会社・役所などの業務組織では、普通、局の下で課の上。
      1. [初出の実例]「部を分ち、毎部一正首領、一副首領或は数副首領を置き」(出典:航米日録(1860)五)
    5. 物事を、評価などを基準として区分けしたもの。種類。部類。
      1. [初出の実例]「鏡に対ふときのみ、わが頭の白きを喞(かこ)つものは幸の部に属する人である」(出典:草枕(1906)〈夏目漱石〉二)
    6. 学校などで、正規の授業のほかに、運動・学芸などをする団体を区分けしたもの。「柔道部」「音楽部」「部活」
    7. 大学の学部。
      1. [初出の実例]「あの雀ガ岡に新しいモスコー大学ができて、そこに自然科学の部が置いてある」(出典:アメリカの科学・ソ連の科学(1957)〈茅誠司〉設備の立派なソ連の大学)
  2. [ 2 ] 〘 接尾語 〙 [ 一 ]を数えるのに用いる。現代では、雑誌、新聞にもいう。書物の場合、同種異種に関係なく数えるのには「冊(さつ)」を用いるが、「部」は同種のものを数えるときに限られる。
    1. [初出の実例]「経一部を一日あてて、九部なんはじめたりける」(出典:落窪物語(10C後)三)
    2. [その他の文献]〔杜預‐春秋左氏伝序〕

べ【部】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 令制前、さまざまな職能をもって大和政権に奉仕した集団。多くは伴造(とものみやつこ)に統率されていた。特定の物品を貢納するもの(山部・土師部など)、宮に出仕して労役奉仕するもの(馬飼部・鍛冶部など)、服属した地方の首長らが差出すもの(舎人部・靫負部など)がある。これらは七世紀後半に解体したが、その遺制は令制の中に組み込まれている。→品部(しなべ)品部(ともべ)
    1. [初出の実例]「新(いなき)の漢(あや)の陶部(すゑつくりヘ)高貴」(出典:日本書紀(720)雄略七年是歳(前田本訓))
  3. 令制前、王族管理の屯倉(みやけ)、豪族管理の田荘(たどころ)に居住し耕作に従事した農民。→田部(たべ)
  4. 令制前、王族の管理民である子代・名代の民(白髪部・小泊瀬部など)、また、豪族の管理民である部曲(かきべ)(=蘇我部・大伴部など)。前者には王族の名を、後者には豪族の名を冠する。
    1. [初出の実例]「則ち諸国の造らに科せて、衣通郎姫の為に藤原部(べ)を定む」(出典:日本書紀(720)允恭一一年三月)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「部」の意味・わかりやすい解説


「とも」とも訓(よ)む。倭(やまと)王権による民衆統治のための政治的な組織、集団。『古事記』『日本書紀』をはじめ『正倉院文書』など、奈良時代の諸文献には、「某部」を称するおびただしい数の人名がみられる。これらの人名は、(1)馬飼(うまかい)部・鍛冶(かじ)部・鳥取(とっとり)部など職業名を帯びるもの、(2)蝮(たじひ)部・穴穂(あなほ)部・勾(まがり)部など皇族名・宮(きゅう)号を帯びるもの、(3)大伴(おおとも)部・蘇我(そが)部・物部(もののべ)など豪族の氏名(うじな)を帯びるものなど、大きく3種に分類され、(1)は一定の職掌・技術をもって、朝廷に番上して奉仕したり、製品を貢納する職業部=「品部(ともべ)」、(2)はいわゆる皇室所有民=名代(なしろ)・子代(こしろ)で、皇族にもっぱら奉仕・貢納するもの、(3)は主として中央の有力豪族に奉仕・貢納する豪族所有民=部曲(かきべ)と解して、律令(りつりょう)国家成立以前の一般民衆の大部分が、倭王権によってかかる制度のもとに組織化されていたとみるのが今日の定説である。そして、かかる部の制度を総称して、部民(べみん)制あるいは伴造(とものみやつこ)―部制(べせい)とよんでいるのである。したがって、部の制度は、倭王権による民衆統治のための政治的な組織といえるのである。

[大橋信弥]

成立

部の制度は、5世紀の後半、百済(くだら)の「部司(ぶし)制」(内官としての穀部・肉部・馬部など12部、外官としての司軍部・司徒部・司寇(しこう)部など10部で構成される)の影響を受けて成立したとされるが、「部」字の始用については、6世紀以降とする説や、天智(てんじ)朝の「庚午年籍(こうごねんじゃく)」からとする見解もあり、かならずしも定説化していない。ただ、部の制度が新たに外来の制度として成立したのではなく、それ以前からわが国固有の制度として存在していたトモ(伴)制を再編・拡充して成立したものであることについては、ほぼ通説化しているといえよう。

 トモ制のトモとは、文字通り王の「お伴(とも)」=従者の意であって、王権に直属する萌芽(ほうが)的な官僚組織といえるが、周知のように、わが国における国家の発生を示す邪馬台(やまたい)国の段階にあっても、卑奴母離(ひなもり)・弥弥那利(みみなり)などの萌芽的な官名がみえるように、王権の形成・発展に伴って、それを維持・拡充するための、自然発生的な政治組織がしだいに形成されたと考えられる。トモ制もそのようななかで、王権にとって必須(ひっす)の職務を、朝廷に番上して奉仕する内廷的なトモの制度として出発したとみられる。このことについては、かならずしも史料的に証明することはできないが、令制下にあっても、「負名氏(ふみょうし)」として、伝統的な職掌をもって朝廷に奉仕していた、畿内(きない)の中小豪族が該当すると考えられる。殿部(とのべ)として主殿(とのも)寮に関与し、「葛野主殿県主(かずののとのもりのあがたぬし)」とも称せられた、山城(やましろ)の有力豪族、鴨(かも)県主氏などがその代表例といえる。そしてかかるトモ制は、5世紀後半代までには、外廷的なトモにも拡大・再編され、いわゆる大伴連(おおとものむらじ)氏、物部連氏、忌部首(いんべのおびと)氏などの中央の伴造氏が、それぞれの職掌を分担して、各地のトモ(部)を引率し、番上・奉仕する、伴造―部制が成立したと考えられるのである。そして、この段階で百済からの部司制の導入があった可能性については、先に触れたとおりである。

[大橋信弥]

発展

一方、このような伴造―部制の発展は、従来かかる制度の圏外にあった、皇族・有力豪族に私的に所属していたトモなどへも、しだいに波及し、いわゆる名代・子代や民部(部曲)が成立したとみられる。すなわち、かつては地方の有力豪族から、なかば人質的に、舎人(とねり)や膳夫(かしわで)、靫負(ゆげい)、采女(うねめ)として、皇族の宮に出仕していた、いわゆる近侍的トモを名代・子代として再編し、白髪部舎人(しらがべのとねり)や勾靫部(まがりのゆげいべ)のように、宮号+部+舎人・靫負と称するとともに、有力豪族の私的な隷属民、配下についても、いわゆる「品部」とは区別して、豪族名+部を付した民部として確定していったと考えられるのである。そして、この名代・子代や民部の成立時期については、かつて5世紀代に求める見解が有力であったが、近年においては6世紀以降に形成されたと考えられており、名代・子代については、推古(すいこ)朝前後に、后妃のための私部(きさきべ)や、皇子女のための壬生部(みぶべ)に、さらに統合・再編されたと考えられている。このような部の制度の発展の背景としては、倭王権の政治組織が、氏族制的な古い体制から官司制的な体制へ、しだいに転換したことが指摘されている。

 以上のように、部の制度は、倭王権の萌芽的な官僚組織としてのトモ制から出発し、その全国的な発展と官司制の整備によって、律令国家成立以前における、民衆統治の中心的な組織となったとみられるのであるが、その場合注意すべきは、このような部の制度の発展が独自になされたのではなく、名代・子代が国造(くにのみやつこ)の民を割いて設定されたといわれ、屯倉(みやけ)の田部が名代・子代の民によって構成されるように、国造制や屯倉制の発展と密接な関連のもとになされたことであろう。

[大橋信弥]

廃止

部の制度が倭王権の中枢的な政治組織であったことは、いわゆる公地公民制を基礎とした律令国家の出発を理念的に表現したとみられる「大化改新詔」の第1条に、部の制度の廃止がうたわれていることから、端的に知ることができるが、事実、孝徳(こうとく)朝の諸詔や、天智朝の「甲子(かっし)の宣(せん)」などを経て、部の制度は廃され、国家による直接的な民衆統治の制度として公民制が形成され、その基礎のうえに古代律令国家が成立したのである。そして、天智朝の庚午年籍によって確定された部姓は、律令制的な氏姓としての機能を果たすことになるのである。

[大橋信弥]

『津田左右吉著『日本上代史の研究』(1957・岩波書店)』『井上光貞著『日本古代史の諸問題』(1971・思索社)』『平野邦雄著『大化前代社会組織の研究』(1969・吉川弘文館)』

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普及版 字通 「部」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 11画

[字音] ブ・ホウ
[字訓] わける・ぶわけ・むれ・すべる・さかい

[説文解字]
[その他]

[字形] 形声
声符は(はい)。に剖判(ほうはん)・剖分の意がある。〔説文〕六下に「天水の狄部(てきぶ)なり」とするが、〔玉〕に「するなり」と訓し、部分に分かつこと、またその部分・部所をいう。は果実の実る形。熟成して剖判するものであるから、分別・部分の意となり、部は邑に従ってその地域をいう。地位や職分にも及ぼしていう。

[訓義]
1. わける、部分にわける、ぶわけ、こわけ。
2. 一定のあつまり、むれ、くみ、すべる。
3. ところ、さかい、くぎり。
4. つかさ、とりしまり、やくしょ。

[古辞書の訓]
名義抄〕部 ハカリ・ヲル・トモ・トモガラ・ツラヌ・コホリ・ワカツ・ヤブル・ワル/百部 ホドツチ(ラ) 〔字鏡集〕部 ワツカ(カツ)・トモガラ・ヤブル・ヤトル・ハカリ・ツラヌ・スソ・ヲル・ワル・トモ・サル

[声系]
〔説文〕竹部五上(ほう)を録し、「爰(まんくわん)なり」とあり、簡牘(かんとく)をいう。竹片を以て簡牘とするもので、(簿)の初文と考えられる。〔説文〕にはの字を収めていない。

[熟語]
部位・部彙・部下・部居・部曲・部伍・部尺・部首・部衆・部従・部署・部乗・部族・部属・部隊・部秩・部帙・部中・部陳・部党・部発・部分・部民・部落・部列・部勒・部婁
[下接語]
異部・一部・外部・学部・楽部・幹部・局部・軍部・刑部・戸部・工部・細部・残部・支部・四部・主部・述部・上部・深部・人部・全部・大部・治部・内部・農部・兵部・別部・辺部・本部・民部・余部・吏部・六部・立部・両部・礼部

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百科事典マイペディア 「部」の意味・わかりやすい解説

部【べ】

大和朝廷における人民支配の制度。4―5世紀に朝鮮に進出した大和朝廷は,人を居住地や職業によって新たな集団に編成し隷属させる方法を学びとり,これを部と呼んだ。部は6世紀にかけて多くの渡来人を迎えて発達し,在来の職業集団であった伴(とも)も部と同視されるに至った。部の内部は一般に,管理者である伴造(とものみやつこ),その下に実務を担当する百八十部(ももあまりやそのとも),さらに隷属民である部民(べみん)に分けられる。また部の類型には,朝廷に奉仕する品部(しなべ),皇室の私有する子代(こしろ),名代(なしろ),豪族の私有する部曲(かきべ)がある。大化改新では部を廃止して公民とする方針をとったが,品部の一部は品部・雑戸(ざっこ)として残され,部曲は封戸(ふこ)となった。

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図書館情報学用語辞典 第5版 「部」の解説

図書・逐次刊行物などの数を表すのに用いる語で,例えば発行部数という言葉や,同じ本を何部注文するという表現のように,いわゆる同じ資料,同一の版・刷などに属する資料の数を表す場合に用いる.形態的単位としての冊と一致することもある.

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「部」の解説


大化前代の支配組織。大和政権ないしそれに属する大王(おおきみ)一族や中央豪族の必要とする労力・技能・生産力を徴収する仕組みで,(1)職業部,(2)名代(なしろ)・子代(こしろ),(3)田部(たべ),(4)部曲(かきべ)などの種類があった。(1)は朝廷の必要とする特定の役務における固定的労働力や渡来系の技術による手工業品などを確保するためのもので,律令制下の品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)に継承されていく。(2)のうち名代は王宮の経営のために設定されたもので,王宮にちなんだ部名がつけられ,舎人(とねり)・靫負(ゆげい)・膳夫(かしわで)などの伴(とも)が徴発され,部民はその資養物を貢納することになっていた。子代は大王家の子女の養育のために設定されたもので,王族にちなんだ部名がつけられ,壬生部(みぶべ)に相当するものと考えられる。(3)は朝廷の直轄地である屯倉(みやけ)の田の耕作の労力確保のため設定されたもの。(4)は中央豪族の経済基盤を維持するために設定されたもので,豪族の氏名を部名とした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「部」の意味・わかりやすい解説


大化改新以前,朝廷や豪族が所有した人民の集団。「とも」,部民 (べみん,べのたみ) ともいう。4~5世紀頃朝鮮に進出した大和朝廷が,百済の部制にならって組織したもの。朝廷に所属するものには,伴造 (とものみやつこ) に統率されて奉仕する品部 (ともべ) ,御名代部 (→名代 ) ,御子代部 (→子代 ) があり,豪族に所属するものは部曲 (かきべ) といった。農民,漁民,特殊技能者から成り,自営的な家族生活を営み,所属する朝廷や豪族に貢物や力役を提供した。部は集団ごとに地名,豪族名,職能名を冠して呼ばれた。大化改新により廃止されたが,一部は存続した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「部」の解説


部民 (べのたみ)

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【五方・五部】より

…百済は王都を泗沘(しひ)(忠清南道扶余)に移すと,三国対立の激化に備えて,王都と地方の政治体制を軍政化した。王都を上・前・中・下・後の五部あるいは中・東・西・南・北の五部に分け,各部をさらに五巷(坊)に区分し,各部を軍政の単位とし,各部に500人の軍隊をおいた。また地方を五方に分け,中方は古沙城(全羅北道古阜),東方は得安城(忠清南道恩津付近),南方は久知下城(全羅南道長城か),西方は刀先城(未詳),北方は熊津城(忠清南道公州)を中心とした地方である。…

【部民】より

…部は〈ベ〉とも〈トモ〉ともよむ。日本では大化改新以前に,朝廷あるいは天皇・后妃・皇子・豪族などに隷属し,労役を提供し,また生産物を貢納した人々の集団をいう。…

※「部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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