アイントホーフェン(読み)あいんとほーふぇん(英語表記)Willem Einthoven

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイントホーフェン」の意味・わかりやすい解説

アイントホーフェン(オランダ)
あいんとほーふぇん
Eindhoven

オランダ南部、ノールト・ブラバント州東部の都市。エイントホーフェンともいう。人口20万3397(2001)。ドメル川沿いの台地上に位置し、同国の代表的な国際的企業フィリップス社を中心として近代的工業が発達する。電機のほか、鉄鋼繊維たばこマッチなどの工業も行われる。町の成立は1232年までさかのぼるが、急速な発展は、1891年のフィリップス社の電機工場の設立以降である。第二次世界大戦中にはドイツ軍に、また1944年には連合国に占領されて痛手を受けたが、戦後いち早く復興した。町にはフィリップス関係の事務所、研究所、工場、社宅などの建物が多く、1956年には工業大学が設立された。パナソニックのある大阪府門真(かどま)市と姉妹都市。

[長谷川孝治]


アイントホーフェン(Willem Einthoven)
あいんとほーふぇん
Willem Einthoven
(1860―1927)

オランダの生理学者。旧オランダ領ジャワ島のスマランに、陸軍軍医の子として生まれた。陸軍の給費学生としてユトレヒト大学に学び、医師となった。1886年ライデン大学の生理学教授に任ぜられ、兵役を免除された。1895年に「ヒトの心電図の形」を発表し、心電図の棘波(きょくは)にPQRSTの名称をつけた。1903年に、ほぼ完成した弦検流計を用いてヒトの心電図を記録発表し、1908年には弦検流計の臨床進出の可能性を実証、1922年になってついに進歩した真空弦検流計を完成させた。1924年、「心電図法の発見」によりノーベル医学生理学賞を受賞。ライデンで死去した。なお、オランダ語発音では、「エーントホーフェン」がより正しい。

古川 明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイントホーフェン」の意味・わかりやすい解説

アイントホーフェン
Einthoven, Willem

[生]1860.5.21. オランダ領ジャワ島,スマラン
[没]1927.9.29. オランダ,ライデン
オランダの生理学者。1885年ユトレヒト大学卒業。初め眼科医 H.スネレンの助手となり,次いで生理学の研究に入り,1886年から終生ライデン大学の生理学教授を務めた。1903年,弦検流計を創案し,これを用いて心筋収縮によって生じる電位の変化を記録した。また,このグラフに記録された波形を心電図と名づけた。その後も心電図の研究を続行し,心臓病の診断に欠かせないものとした。その功績により 1924年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

アイントホーフェン
Eindhoven

オランダ南部,ノールトブラバント州の都市。 1232年都市権を獲得。 1891年に電機メーカーのフィリップス社がここに操業を開始して以来,急速に発展。 1900~20年の間に人口は3倍に増加した。工科大学 (1957創立) ,美術館,天文台などがあり,オランダ北部,西部,ベルギー,ドイツへ通じる鉄道の要地でもある。第2次世界大戦中は市街地の大部分が戦火を受けたが復興。戦後再建されたフィリップス社が現在も産業の中心。そのほかトラック,乗用車の製造,たばこ,織物生産が行われる。人口 19万 3966,大都市圏 38万 8355 (1992推計) 。

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