日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンブロス」の意味・わかりやすい解説
アンブロス
あんぶろす
Victor Ambros
(1953― )
アメリカの発生生物学者。ニュー・ハンプシャー州ハノーバー生まれ。1975年マサチューセッツ工科大学(MIT)卒業、MIT大学院で分子生物学者デビッド・ボルティモアの指導を受け、1979年に遺伝学で博士号を取得。同大学でロバート・ホルビッツのもと、博士研究員として、生物の受精卵がどのように成体に成長していくのかについて、発生の仕組みの解明に取り組んだ。1985年にハーバード大学助教授、1988年に同大学準教授、1992年にダートマス大学に異動し、同大学医学部準教授、1996年に教授に昇任。2008年には母校のMIT(医学部)教授に就任した。
1980年後半、ハーバード大学に移ると、体長1ミリメートル程度の線虫を使って、発生の仕組みの解明の研究を本格化させた。小さいわりに細胞数が多く、研究に適する線虫の遺伝子「lin(リン)-4」に着目。この遺伝子の変異が別の遺伝子「lin-14」の発現を抑制していることをつきとめた。lin-4が、タンパク質をつくらず、22塩基程度のとても短いRNA(マイクロRNA)を産生することも確認した。ただ、このマイクロRNAが、どのようにlin-14の発現抑制に関与しているのか、そのメカニズムは不明だった。
それを解明したのが、MITで同僚だったゲイリー・ラブカンである。別の研究チームを率いていたラブカンは、lin-4でつくられたマイクロRNAが、lin-14のmRNA(メッセンジャーRNA)に結び付くことで、lin-14の働きが抑制され、タンパク質がつくられないことを明らかにした。二人の成果は、別々の論文として、1993年に科学誌『セルCell』に同時に発表された。
ある個体のすべての細胞は、同じDNAをもつが、臓器や器官によって遺伝子の発現が異なり、それぞれに適した機能や形態が生まれる。こうした遺伝子の制御については、1960年代から研究が進み、「転写因子」というタンパク質が関与していることはわかっていた。アンブロスらの成果は、転写因子以外に、マイクロRNAが遺伝子制御にかかわっていることを初めて示した。当初は、線虫だけの現象として注目されなかったが、2000年にラブカンが、線虫で発見されたマイクロRNAが、人間をはじめ多くの動物でも普遍的に存在することを発表。現在では2000種以上のマイクロRNAが確認されている。このマイクロRNAの変異によって、がんやさまざまな臓器の障害が引き起こされることもわかってきており、病気の診断や治療薬の開発につながると期待されている。
アンブロスは、2002年ニューカム・クリーブランド賞、2004年ローゼンスティール賞、2006年アメリカ遺伝学会メダル、2008年ベンジャミン・フランクリン・メダル、ラスカー基礎医学研究賞、ガードナー賞、2009年ディクソン賞、2012年国際ポール・ヤンセン生物医学研究賞、2013年慶応医学賞、2014年ウルフ賞、2015年生命科学ブレイクスルー賞などを受賞。2024年「マイクロRNAとその転写後遺伝子制御の仕組みの発見」の業績で、ラブカンとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。
[玉村 治 2025年2月14日]