イェリネック(読み)いぇりねっく(英語表記)Georg Jellinek

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イェリネック」の意味・わかりやすい解説

イェリネック(Georg Jellinek)
いぇりねっく
Georg Jellinek
(1851―1911)

ドイツの代表的国法学者。ウィーンハイデルベルクライプツィヒの各大学に学んだのち、ウィーン、バーゼルの大学教授を経て、ハイデルベルク大学教授として研究生活を続け、法学、政治学、国家学の分野で大きな功績を残した。主著一般国家学』(1900)は、ローマ時代から彼の時代までの国家学を研究、集大成した名著として知られ、そのほか『公権論』(1892)、『人権宣言論』(1895)などの著書もある。イェリネックの法、国家思想特色は、当時の反立憲主義的な政治に対して「国家法人説」を唱え、国家の個人に対する絶対的な優位を説く思想を批判した点にある。イェリネックは、国家は憲法や法律を制定する主体であるが、法律を一方的に個人に義務づけることはできず、個人にも権利があるとし、また、国家は憲法や法律に拘束される(国家の自己拘束)として、国家に関して新カント派的な二元論的方法を展開した。国家の自己拘束に関して、国家は憲法や法律を自由に制定することができるから、このような国家行動についてはどうすべきかという問題が残されるが、この点に関してイェリネックは社会的諸勢力が規制すると述べているにすぎない。

 しかし、当時のドイツではイギリスなどと異なり議会制度未発達であったから、国家の自己拘束による個人の自由の保護という主張一定の意味があり、そのため、ほぼ同じ情況にあった日本において、彼の思想は美濃部達吉(みのべたつきち)の「天皇機関説」に取り入れられている。また、イェリネックの国家法人説はケルゼンによって、社会的国家論はH・ヘラー、R・スメントによって発展させられた。

[田中 浩]

『美濃部達吉訳『人権宣言論 他三編』(1946・日本評論社)』


イェリネック(Oskar Jellinek)
いぇりねっく
Oskar Jellinek
(1886―1949)

オーストリアの小説家。モラビア(現チェコ領)のブルノに生まれる。ウィーンで裁判官の職にあったが、密通した妻殺しの裁判官を描いた『田舎(いなか)判事』(1925)で賞を受け、作家に転身した。劇的で緊迫した筋の短編に優れ、エーブナ・エッシェンバハらに始まる、故郷モラビアの農村を舞台にした田園小説の系譜を引いた佳作を残す。1938年、プラハ、パリを経てアメリカに亡命し、ロサンゼルスに没した。

[村山雅人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イェリネック」の意味・わかりやすい解説

イェリネック
Jellinek, Georg

[生]1851.6.16. ライプチヒ
[没]1911.1.12. ハイデルベルク
ドイツの国法学者で,行政法学者 W.イェリネックの父。国家は社会的と法的との2側面をもつから,国家学は国家社会学と国法学とを含むとし,国家について国家自己拘束説と国家法人説とをとった。彼の徹底的な内在的批判から出発したのが H.ケルゼンである。主著に,『公権力の体系』 (1892) ,『一般国家学』 (1900) がある。

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