改訂新版 世界大百科事典 「インド系文字」の意味・わかりやすい解説
インド系文字 (インドけいもじ)
インドを中心として,チベット,東南アジア等の同一の系統に属する文字の総称。20世紀に入り,1920年から21年にかけて発掘が行われたハラッパー,22年から始まったモヘンジョ・ダロなどの遺跡から発見された印章や陶片に刻まれているインダス文字は未解読のままである。
圧痕,刻銘が一定であり,一つの印章に刻まれている文字は平均6,多くて17文字,書字方向は右から左で,2行にわたるときは逆になる,いわゆる〈牛耕式〉であることなどがわかっているだけである。文字の数は,研究者によって,228,253,396などと異なるが,このことからインダス文字は単語文字から音節文字への移行の段階にあったのではないかといわれている。この文字の使用者の言語が判明していないことや,既知の言語または文字を併用した刻銘がないことが,解読作業を困難にしている。したがって起源については,ドラビダ説など諸説がある。この文字はインダス文明の滅亡とともに忘れ去られてしまった。滅亡の時期を前1500年とすると,ブラーフミー文字による現存最古の碑文の年代まで約12世紀の断絶があり,この断絶を埋める文字資料は発見されていない。
1837年,ジェームズ・プリンセプによってほぼ解読されたブラーフミー文字,同人によって17文字解読されたカローシュティー文字は,アショーカ王による石柱,磨崖碑文の文字である。カローシュティー文字は,前5世紀ころ,ブラーフミー文字を知っている者が,アラム文字を借用して考案したものとされている。北西インド,北インドから中央アジアにかけて,前3世紀ころには普及するようになった。アショーカ王以後も,シャカ,クシャーナ朝の諸王によって採用されたが,5世紀以降,ブラーフミー系の文字と交代し,忘れ去られてしまった。
現行のインド系諸文字の系譜をたどるとブラーフミー文字に行き着く。4世紀から6世紀にかけて,この文字は南北両系に大きく分かれ,北方系ブラーフミー文字であるグプタ文字から,スイッダマートリカー文字が成立し,さらにこの文字から,8世紀にはデーバナーガリー文字が,東ではベンガーリー文字が,カシミールではシャーラダー文字が派生した。デーバナーガリー文字からグジャラーティー文字が,パンジャービー語を表記するグルムキー文字はシャーラダー文字より,ベンガーリー文字よりオリヤー文字がそれぞれ派生した。南方系ブラーフミー文字から,5世紀にはパッラバ文字が,7世紀には,サンスクリット語による文献《グランタGrantha》を写すためのグランタ文字が成立している。やはり南方系ブラーフミー文字に連なるバッテルットゥ文字をグランタ文字に基づいて改良したのが現行タミル文字であり,グランタ文字に基づき,一部をバッテルットゥ文字で補完したものが現行マラヤーラム文字である。チャールキヤ朝期にカンナダ文字の祖型が南方系ブラーフミー文字よりあらわれ,8世紀から9世紀にかけて,テルグ文字がカンナダ文字より分離した。
→文字
執筆者:田中 敏雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報