ウィルクス事件(読み)ウィルクスじけん

改訂新版 世界大百科事典 「ウィルクス事件」の意味・わかりやすい解説

ウィルクス事件 (ウィルクスじけん)

1760-70年代のイギリスで,国王貴族の寡頭支配的な議会政治体制に反対して,ジョン・ウィルクスJohn Wilkes(1727-97)が中心となって展開した急進主義政治運動。ウィルクスはロンドンの富裕な酒造業者の次男として生まれ,ライデン大学留学後,1757年エールズベリー(バッキンガムシャー選出の庶民院議員となり,62年には週刊紙《ノース・ブリトン》を創刊して,ジョージ3世が信任するビュート首相の政権に対して攻撃の論陣を張った。63年4月,同紙第45号で議会開院式の勅語を非難すると,この〈扇動的・反逆的文書〉の著者・印刷者・発行者に対する〈一般的逮捕状〉が出され,ウィルクス自身も同月末逮捕された。しかし議員特権によりまもなく釈放され,彼を歓迎するロンドン市民の間に,〈ウィルクスと自由〉をスローガンとする連帯と運動が高まっていった。その後,63年末にウィルクスはパリへ移住したが,64年1月,庶民院は彼の除名を決議し,同年2月,裁判所も文書誹毀罪で有罪を宣告した。68年2月,ウィルクスはあえて帰国し,3月にはロンドン北郊ミドルセックス州選出議員に当選した。同年4月から1年10ヵ月の刑期で,彼は王座裁判所監獄に収監されるが,その間,前後4回議会が彼を除名するたびに,ミドルセックス州選挙民は彼を当選させた。この事件が地方新聞でも報道されると,自由の体現者ウィルクスに対する熱烈な支持は,各種の示威運動や励ましの贈物などの形で,ロンドンからイングランド全土へ広まり,支持層も地方ジェントリーや有産市民から徒弟・職人・奉公人・労働者など一般民衆の間へ広がっていった。このようにして,言論・出版の自由,あるいは有権者の選挙の自由を焦点とするウィルクス事件は,〈議会の特権擁護から〈人民の権利〉擁護へと,18世紀イギリスの政治的自由追求の運動が飛躍的な発展を遂げる流れの中で,ひとつの重要な転機を形成したのである。
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百科事典マイペディア 「ウィルクス事件」の意味・わかりやすい解説

ウィルクス事件【ウィルクスじけん】

18世紀後半の英国で展開した反体制運動。1763年下院議員ジョン・ウィルクスJohn Wilkes(1727年−1797年)がみずからの創刊した《ノース・ブリテン》紙上で国王ジョージ3世の議会開院式の勅語を批判したのに対して扇動的文書の著者であるとして逮捕されたのが発端。議員特権で釈放された彼を迎えたロンドンの群衆は〈ウィルクスと自由〉を合言葉に高揚をみせた。議会が彼を除名し,裁判所も文書誹毀(ひき)罪で有罪の判決を下すと,ロンドン郊外のミドルセックス選挙区は彼を選出し,以後3回にわたって除名と当選が繰り返された。こうした経緯が新聞などで報道され,ウィルクスは一躍自由の寵児ともてはやされるようになった。地主貴族を中心にした特権的な寡頭支配体制に,言論の自由を看板にして民衆の支持のもとに風穴を明けたこの事件は,英国における急進主義運動の展開の契機になった。
→関連項目グレンビル

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