出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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オケヘム
Johannes Ockeghem
生没年:1410ころ-97
フランドル楽派の作曲家。オケゲムとも呼ばれる。1451年ころから30余年にわたり3代のフランス国王宮廷に仕え,王の使節団の一員としてスペインなどに旅行した。トゥールで没したが,彼の死は当時の文人たちに哀惜され,エラスムスは《音楽の長オケヘムへの挽歌》を,ほかに2人の詩人が追悼詩をささげている。今日まで伝えられている作品の数は比較的少ないが,ミサ,モテット,シャンソンの多岐にわたり,さらに現存する多声による最古のレクイエムも含まれる。純粋な多声の原理に基づく宗教的声楽作品は,各声部における息の長い旋律線を特徴とし,その流れは楽曲全体を通じて全声部同時にとぎれることがない。また,3声書法を基調としたシャンソンは,伝統にしたがった保守的な傾向を示しているが,模倣書法が控えめに試みられている。
執筆者:寺本 まり子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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オケヘム
Ockeghem, Johannes
[生]1430頃
[没]1495/1496. ツール
初期フランドル楽派の代表的作曲家。アントワープ (アントウェルペン) 大聖堂の児童合唱団から出発し,歴代のフランス王に仕え,1454年「礼拝堂首席司教」,65年「王室礼拝堂楽長」の称号を受けた。各声部が均等な比重をもつ巧みな声部操作によって,かつてない響きを生み出し,当時「音楽の王」とたたえられた。その対位法的技法は美術の遠近法の発見に比せられ,特にその傾向の著しい『ミサ・プロラツィオーヌム』は,技巧上バッハの『フーガの技法』にたとえられるポリフォニー作品である。ミサ曲約 15,モテト約7,世俗シャンソン約 20曲が筆写楽譜として残存。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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オケヘム
おけへむ
Johannes Ockeghem
(1425ころ―1497)
フランドル楽派の作曲家。1440年代にアントワープ(現アンベルス)、フランスのムーランで活躍したのち、40年にわたりシャルル7世、ルイ11世、シャルル8世の3代のフランス国王の宮廷に仕え、トゥールに没した。初期フランドル楽派最大の作曲家で、デュファイ以来の新しい技法を受け継ぎ、厳格な対位法書法により書かれた音楽は、次代のフランドル楽派の基礎的な方向となった。それはミサ曲やモテットにはっきりみられるが、一方で伝統的なブルゴーニュ風書法によるシャンソンも多く残している。
[今谷和徳]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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