オルター(読み)おるたー(英語表記)Harvey James Alter

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オルター」の意味・わかりやすい解説

オルター
おるたー
Harvey James Alter
(1935― )

アメリカの医学者、ウイルス学者。ニューヨーク市生まれ。ロチェスター大学で医学を学び、1960年医学博士号を取得した。ロチェスター大学付属のストロング・メモリアル病院などで内科医として研鑽(けんさん)を積み、1961年にアメリカ国立衛生研究所(NIH)の臨床研究員となった。その後、シアトルにあるワシントン大学や首都ワシントンDCにあるジョージタウン大学病院の血液学研究部門長などを務めた。1969年にふたたび、輸血医学の上級研究員としてNIHに戻り、1972年に感染症研究部門長、1987年には臨床研究センターの副所長を歴任。現在もNIHの名誉研究員として活躍する。

 NIH血液銀行の血液の専門家だったオルターは、1960年代、輸血後に起こる肝炎の原因解明に取り組み、アメリカのウイルス学者であるバルーク・サミュエル・ブランバーグと共同で研究を行い、オーストラリアの先住民アボリジニの血清中からいわゆる「オーストラリア抗原」を発見した。アメリカ人の白血病患者の11%でもこの抗原を確認したが、健康人にはほとんど見つからなかった。後に、このタンパク質(抗原)は、B型肝炎ウイルスの表面タンパク質であることをつきとめ、これによって輸血によるB型肝炎を減らすことにつながった。この業績で、ブランバーグは1976年のノーベル医学生理学賞を受賞した。

 しかし、B型肝炎ウイルスが混入した血液を排除しても輸血後感染は2割ほどしか減らなかった。オルターは、汚染された水や食べ物を通じて経口感染するA型、輸血などにより感染するB型肝炎ウイルス以外の「非A非B型」の肝炎患者には第三のウイルスが存在すると予測した。非A非B型肝炎患者から採取した血液を、ヒトの肝炎の動物実験モデルとなるチンパンジーに接種すると肝炎になることを1978年に発見し、のちにC型と分類されることになる肝炎ウイルスの存在を初めて示した。

 長年、難航したこのウイルスの正体をつきとめるのに成功したのが、アメリカの製薬会社カイロンChiron(現、ノバルティス)にいたマイケル・ホートン(のち、カナダ・アルバータ大学教授)である。1989年、遺伝子工学を用い、非A非B型肝炎の患者の血液と、それを接種したチンパンジーの血液からウイルス由来のタンパク質を見つけた。これが契機となり未知のウイルスのゲノム配列が同定されたが、これはオルターが予測していたRNA(リボ核酸)ウイルスで、正式にC型肝炎ウイルス(HCV)と命名された。

 このC型肝炎ウイルスを病原体と確定したのが、セントルイス・ワシントン大学教授のチャールズ・ライス(のち、ロックフェラー大学教授)である。これまでは、ホートンらがチンパンジーから取り出したウイルスを他のチンパンジーに注射しても、血液中や肝臓にウイルスは増殖しなかった。ライスは、増殖に必要な必須部分が変異しているためと考え、ウイルス両端の変異した部分を取り除き、必須部分を加えたウイルスをつくった。これをチンパンジーに接種すると、ウイルスは増殖し、肝炎の症状がみられた。

 B型肝炎やC型肝炎ウイルスに感染すると、10~30年を経て、肝硬変、肝がんとなる。肝がんは、がんのなかでも死因上位を占める。2015年にはC型肝炎ウイルス感染によるがんなどで、世界で134万人が死亡した。オルターらによるC型肝炎ウイルスの発見で、輸血による感染を防止する検査法が確立したのである。当初は、ウイルスを駆除する注射薬インターフェロンがC型肝炎治療の主流だったが、副作用が大きかった。最近では、副作用の少ない飲み薬(ハーボニー〈レジパスビル・ソホスブビル配合剤〉などの抗ウイルス薬)などを用いた「インターフェロンフリー」の新たな治療法が登場し、患者の95%が治療可能となった。

 オルターは、2000年にラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞、2013年ガードナー国際賞を受賞。2020年「C型肝炎ウイルス発見」の功績で、ホートン、ライスとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。

[玉村 治 2021年2月17日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オルター」の意味・わかりやすい解説

オルター
Alter, Harvey J.

[生]1935.9.12. ニューヨーク,ニューヨーク
ハーベイ・J.オルター。アメリカ合衆国の医学者,ウイルス学者。フルネーム Harvey James Alter。肝炎の原因となるウイルス,特に C型肝炎ウイルス HCVの発見と分離に貢献し,その研究は献血者のスクリーニング検査開発の土台となり,輸血による肝炎の感染防止につながった。2020年,HCVの発見に対して,イギリス出身のウイルス学者マイケル・ホートン,アメリカのウイルス学者チャールズ・M.ライスとともにノーベル生理学・医学賞(→ノーベル賞)を受賞した。
ユダヤ人の両親のもとに生まれ,ニューヨークで育った。ロチェスター大学で 1956年に学士号,1960年に医学博士号を取得。同大学内のストロング・メモリアル病院で研修医として勤務したのち,国立衛生研究所 NIHの臨床センターで研究員として働いた。その後,ワシントン大学ジョージタウン大学などを経て,1969年から NIHの輸血医学研究部のシニア研究員となる。1972年に感染症部門長,1987年には NIH臨床センター副所長に就任した。
最初の大きな業績は 1960年代前半,NIHのアメリカの医学者バルーク・S.ブラムバーグとの共同研究で,いわゆるオーストラリア抗原を発見したことだった。オーストラリアの先住民の血清中にみられるこの抗原は,アメリカの白血病患者の約 11%に検出されたが,健康な人にはごくまれにしか検出されなかった。その後,この抗原蛋白質は B型肝炎ウイルス HBVの表面抗原であることが確定し,HBs抗原 HBsAgと名づけられたこの表面抗原を献血の血液から検出する測定法の開発に携わった。のちに献血血液中の HBsAgを高感度で検出する方法が開発され,輸血後肝炎 TAHは大幅に減少した。
1970年代,研究チームを率いて TAHを発症した患者を調査したところ,B型肝炎ウイルス HBVや A型肝炎ウイルス HAVなど,TAHに関連するウイルスのどの抗原にも陽性反応が出ない患者がいることを発見した。さらに研究を進めるうちに,非A非B型ヒト血漿または血清を接種したチンパンジーが肝炎を発症したことから,TAHを引き起こす第三の感染性病原体が存在すると推論した。1980年代半ばに血液銀行に対し,献血血液に非A非B型肝炎ウイルスの代替マーカーである B型肝炎コア抗体(抗HBc)の検査を実施するよう促した。その後,抗HBc検査の導入により,TAHの発生率は約 4%にまで低下した。
1989年,ホートン率いる研究チームが,非A非B型肝炎の病原体の RNAゲノム(→RNAウイルス)から,相補的な DNAクローンを分離したと発表。同年,オルターはホートンと共同で,非A非B型肝炎を発症した輸血患者から HCVを検出したことを報告した。1990年に献血者の抗HCV検査法が導入されると,TAHの発生率はわずか 1%にまで減少。その後,さらに高感度の検査法が開発されたことで,TAHはほぼ撲滅された。
ノーベル賞のほか,2000年にラスカー賞,2013年にガードナー国際賞を受賞。2002年アメリカ科学アカデミー会員,同年アメリカ医学アカデミー会員。

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