石川県中央部の海に面した市。2004年3月宇ノ気(うのけ),高松(たかまつ),七塚(ななつか)の3町が合体して成立した。人口3万4651(2010)。
かほく市中南部の旧町。旧河北郡所属。人口1万2574(2000)。北部と東部の丘陵地,中央の沖積低地,南西の内灘砂丘からなり,丘陵と低地の間には段丘が発達する。河北潟の北岸に位置し,南岸の須崎と結ぶ内日角(うちひすみ)は,湖上交通と七尾街道の荷の積替地として1898年の七尾鉄道(現,JR七尾線)の開通まで栄えた。現在,中心は駅前の宇野気に移動している。河北潟の干拓地を含む低地は早場米の産地で,米作を中心とする農業が町の基幹産業であるが,繊維工業も行われる。近年,機械・電子工業が誘致され,工場団地が建設された。砂丘では畑作が行われ,県の砂丘地農業試験場(現,農業総合研究センター分場)がある。湖岸の大崎では小規模ながら漁業が行われる。哲学者西田幾多郎の生誕地で,西田幾多郎記念哲学館がある。ほかに縄文中期の上山田貝塚がある。
かほく市北部の旧町。旧河北郡所属。人口1万0826(2000)。大海(おおみ)川下流に位置し,西部に日本海に面する河北砂丘が発達する。中心の高松は,加賀から能登へ抜ける七尾街道の宿場町として形成された。農業は米作を中心にブドウ,スイカ栽培が盛ん。工業は繊維,瓦製造の伝統工業に加えて,機械・金属工業も立地する。西部海岸は海水浴場として知られ,海岸沿いを能登海浜道路が通る。JR七尾線が通じる。
かほく市南西部の旧町。旧河北郡所属。人口1万1270(2000)。日本海に面する7漁村が合体して成立した南北に細長い町で,河北砂丘上を占め,山や川はなく水田も皆無である。かつては地引網漁が行われ,漁期が終わると北海道や九州に出稼ぎに出た。現在は明治中期の輸出羽二重製織から発展した繊維工業が基幹産業で,特にゴム入り細幅織物の生産は全国有数である。またスプリンクラーなど灌漑設備の導入による砂地でのスイカ,メロン,イチゴの栽培が盛ん。西部海岸にはハマナスが群生するが,能登海浜道路の開通により急減している。白尾などの海水浴場がある。JR七尾線が通じる。
執筆者:上田 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
石川県中央部にある市。2004年(平成16)高松町、七塚町(ななつかまち)、宇ノ気町(うのけまち)が合併して成立。東は宝達(ほうだつ)丘陵、西は日本海に面し、内灘(うちなだ)砂丘が発達する。南部は宇ノ気川が南流し、金沢市・内灘町域の河北潟(かほくがた)にそそぐ。JR七尾線(ななおせん)、国道159号、471号、のと里山海道が通じる。古墳や遺跡が多く、縄文時代の上山田貝塚(国指定史跡)、気屋遺跡などがある。旧宇ノ気町、旧七塚町地区は金津(かなづ)庄として発展、旧高松町地区は江戸時代に能登(のと)と加賀を結ぶ能登街道の重要な宿場町として栄えた。明治期に定着した織物業は、その後、主産業である繊維工業となり、とくにゴム入り細幅織物の生産で知られる。近年はイメージスキャナの生産でも知られる。金沢市への通勤者も多い。哲学者の西田幾多郎(きたろう)は宇ノ気村(当時)の出身で、内日角(うちひすみ)に石川県西田幾多郎記念哲学館がある。面積64.44平方キロメートル、人口3万4889人(2020)。
[編集部]
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