ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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南蛮菓子のなかの砂糖菓子で掛け物の一種。金米糖、金餅糖の字もあてる。菓名はポルトガル語のコンフェイトconfeitoによる。極小の飴粒(あめつぶ)を核にして、これに氷砂糖を煮溶かした糖液をまぶし、かき回しながら加熱すると、糖液は順次固まって大きくなり、球形の表面に角状の突起ができる。糖液に彩色して赤、黄、緑色の金平糖もつくられる。金平糖が国産化したのは渡来から約120年後の貞享(じょうきょう)年間(1684~1688)とみられ、井原西鶴(さいかく)の『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』(1688刊)巻5には、「仕掛(しかけ)いろいろせんさくすれども成(なり)がたく」「南蛮人もよきことは秘すと見えたり」などと紹介され、その仕法が当時の日本人にはよほど不思議であったことがわかる。それに続いて「近年下直(げじき)なること、長崎にて女の手わざに仕出し、今は上方(かみがた)にてもこれにならひて弘(ひろ)まりける。胡麻(ごま)一升を種にして、金平糖二百斤になりける」と書かれるまでに普及した。当時は核にごまやケシ粒、肉桂(にっけい)皮などを用いた。『守貞漫稿(もりさだまんこう)』によると、製法が江戸に伝わるのは文政(ぶんせい)(1818~1830)以後のことである。金平糖つくりは掛け物職人といい、手仕事で日に約70キログラムもこしらえたというが、いまは駄菓子である。
[沢 史生]
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...
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