改訂新版 世界大百科事典 「コラディリエンツォ」の意味・わかりやすい解説
コラ・ディ・リエンツォ
Cola di Rienzo
生没年:1313か14-54
14世紀ローマの市民政治家,民衆運動の指導者。庶民の子として生まれ,公証人としてラテン語を学んだ。古代ローマの文物に魅せられ,その栄光の再現を夢想した。教皇庁のアビニョン移転(1309)後のローマは,都市貴族の抗争の中で混乱し,経済的にも衰退していた。この中から民衆的な自治獲得の運動が生まれてくるが,コラはこれに古代ローマの再興の期待を結びつけ,市政改革の指導者となった。1343年教皇クレメンス4世が即位したとき,市民を代表してアビニョンへ赴き,教皇庁のローマ帰還を訴え,市政改革の支援を求めた。47年彼は同志と共に反乱を成功させ,都市の実権を掌握。護民官と称して都市の改革を進め,貴族やローマ領の諸都市に服従を求めた。しかし都市ローマこそ世界の中心であると公言する彼の態度は,次第に教皇庁の反発を招き,人心もはなれた。数ヵ月後,貴族の反乱によって政権を失ったコラは亡命し,今度は皇帝カール4世と提携しようとしてプラハへ赴いた(1350)。しかし,異端の疑いで捕らえられ,アビニョンへ送られた。教会国家の再建を企てる教皇インノケンティウス6世は,その目的に利用するために彼をローマへ送った(1354)。一度は熱烈な歓迎を受けたが,間もなく民衆反乱の中で殺害された。一時,詩人ペトラルカと交友があったことでも知られている。
執筆者:清水 廣一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報