シスネロス(読み)しすねろす(英語表記)Francisco Jiménez de Cisneros

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シスネロス」の意味・わかりやすい解説

シスネロス
しすねろす
Francisco Jiménez de Cisneros
(1436―1517)

スペインフランシスコ会士。マドリード北方のトレラグーナの貧困貴族の出身。サラマンカ大学に学んだのち、フランシスコ会に入会。その模範的修道生活と資質を買われて、1492年に期せずしてイサベル1世聴罪司祭に任ぜられた。ついで、1495年にスペイン教会筆頭の位であるトレド大司教に就任王権教皇庁意向を受けて、諸修道会の改革をいち早く強力に進めた。当時、スペインで重大な政治社会問題であった残留イスラム教徒の扱いについては、強制改宗か国外追放を主張する強硬派を代表した。一方、文化面ではアルカラー大学創立(1508)にみられるように、スペイン・ルネサンスの中心人物でもあり、さらにイサベル1世の死後は、内政外交において幾度か決定的な働きをした。

小林一宏]

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改訂新版 世界大百科事典 「シスネロス」の意味・わかりやすい解説

シスネロス
Francisco Jiménez de Cisneros
生没年:1436-1517

スペインのフランシスコ会士。カトリック両王時代のスペインの政治・文化・宗教に大きな足跡を残した。サラマンカ大学で学んだ後フランシスコ会に入ったシスネロスは,その人徳を買われて平民の出身ながら1492年にイサベル女王付聴罪司祭として宮廷に呼ばれ,3年後にはトレド大司教の任に就いた。このころ,両王の支援を受けて各修道会をはじめとする教会改革に着手,多くの抵抗を排してこれを推進する一方,征服直後のグラナダ王国についてはイスラム教徒に改宗を強いたり,1502年の追放令を両王に進言するなど強硬姿勢を貫いた。イサベル女王の死(1504)とフェルナンド王の死(1516)との2度にわたって政治の最高責任者となったおりには,そのつど政治権力の回復を狙う貴族の動きを迅速に封じて王権の優位を守った。1508年に神学刷新を目指してアルカラ大学を創設,ここにルネサンス期の文人英才を集めて時代に即した学問の振興を助けた。その結果,発明まもない印刷技術を生かして刊行された多国語訳聖書はスペイン人文主義の傑作のひとつとされる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「シスネロス」の解説

シスネロス
Francisco Jiménez de Cisneros

1436~1517

スペインの聖職者,政治家。フランチェスコ修道会士。1492年からイサベル1世の聴罪司祭を務め,95年にトレド大司教に就任。スペイン・カトリック教会の諸改革を実行。99年からはグラナダムデハルの集団強制改宗を断行。イサベル1世死後には2度にわたってカスティリャ王国で摂政となり,貴族勢力の抑制と王権強化に努めた。アルカラ・デ・エナレス大学の創設者。

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