ドイツの政治家。カッセルに生まれる。印刷職人を経て社会民主党に入党、党新聞の編集に携わる。1903年に帝国議会議員、1911年には党幹部会に入り、右派の指導者となった。第一次世界大戦では戦争遂行に協力し、「城内平和」政策を推進したが、のち「和解の平和」を要求、1918年10月マックス内閣に入閣したが、11月9日に辞任し、同日午後、国会のバルコニーから共和国の宣言を行って革命の推移に大きな影響を与えた。人民代表評議会に参加後、1919年2月、共和国初代首相となったが、ベルサイユ条約に反対して6月に辞職した。1926年には国会で国防軍と赤軍の協力を暴露して話題をよんだ。1933年に亡命し、1939年11月29日、コペンハーゲンで死去した。
[松 俊夫]
ドイツの政治家。印刷工出身。社会民主党地方新聞の編集者を経て,1903年国会議員となる。11年党幹部,翌年国会副議長に推されるも皇帝の親任式を拒否。雄弁家として人気があり,第1次世界大戦中は講和による和平を唱える。1918年11月に勃発したドイツ革命が急進化するなかで,同月9日独断で共和国を宣言し,ワイマール共和国初代首相となるが,ベルサイユ条約に反対し辞任。25年まで故郷カッセルの市長,33年亡命してコペンハーゲンで客死した。
執筆者:山本 秀行
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1865~1939
ドイツの政治家。印刷工出身。1903年社会民主党所属の国会議員となり,11年同党幹部会員。第一次世界大戦では城内平和策をとり戦時予算を支持。17年和解の平和と内政改革を主張し,18年マックス・フォン・バーデン公内閣に列した。ドイツ革命ではいち早く共和国を宣言し,人民委員政府の一員またヴァイマル共和国初代首相として革命運動の鎮圧にあたった。ヴェルサイユ条約の調印に反対して辞職。33年ヒトラー政権成立後亡命。
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…ベルリンで革命の中心となったのは,革命的オプロイテ,スパルタクス派等の反戦諸派で,労働者評議会の議長には前者のミュラーが選出された。これに対して,エーベルト,シャイデマンら社会民主党指導部は,下からの革命の動きを抑え切れないと見てとると,同党と労働組合の組織力に支えられつつ,〈共和国〉と〈団結〉を合言葉に,兵士の支持をも得て主導権を握り,両社会民主党の連立政権(エーベルト,ハーゼを中心とする〈人民委員評議会〉)を成立させた。 労働者・兵士の革命に直面して,軍部は,社会民主党と結んでこれを抑えようとし(11月10日のエーベルト=グレーナー協定),産業界は,労働組合と結んで資本主義体制の維持と経済政策への発言権の確保をはかった(11月15日のシュティンネス=レギーン協定)。…
※「シャイデマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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