日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャフツベリ伯」の意味・わかりやすい解説
シャフツベリ伯(3世)
しゃふつべりはく
3rd Earl of Shaftesbury,Anthony Ashley Cooper
(1671―1713)
イギリスの道徳哲学者。道徳感覚学派の始祖。ホイッグ党の指導者。ジョン・ロックが、侍医および秘書として仕えた初代シャフツベリ伯爵の孫。幼いころロックに教育を受ける。彼は思想の自由を主張した。思想の行きすぎは、全体を調和的に眺めうる精神、機知とユーモアに富む精神によっておのずから是正されるからである。この精神は人間の本性に固有な一種の感覚であり、これに対応して世界も美的調和に貫かれていると考える。道徳は全体的利益の追求にあるが、これを可能にする「道徳感覚」も人間の自然的本性であり、道徳は宗教から独立しても可能なものと考えた。彼の美的調和の世界観、道徳感覚説、宗教と道徳の分離の思想は、ハチソン、バトラーやヒュームを生み、ライプニッツやカントをはじめ18世紀のヨーロッパ精神界に大きな影響を与えた。主著に『人々、風習、意見、時勢の特徴』(1711)がある。
[小池英光 2015年7月21日]
シャフツベリ伯(1世)
しゃふつべりはく
1st Earl of Shaftesbury,Anthony Ashley Cooper
(1621―1683)
イギリスの政治家。チャールズ2世治下の野党指導者。ピューリタン革命中は一時クロムウェルの政府に仕え、王政復古後も政界で活躍した。しかし、チャールズ2世治世後半の親カトリック傾向に対して反政府的立場を明確にし、1679年から1681年にかけての議会では、カトリック教徒の王弟ジェームズの王位継承を排除するための運動を組織的に展開した。しかしこの王位継承排除法案は議会を通過せず、かえってシャフツベリを危険視する風潮が強まり、1682年オランダに亡命し、同地で客死した。ジョン・ロックの後援者として、その著述活動を奨励していたことでも有名である。
[大久保桂子]
シャフツベリ伯(7世)
しゃふつべりはく
7th Earl of Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper
(1801―1885)
イギリスの政治家、キリスト教的社会運動家。オックスフォード大学を卒業し、アシュリー卿(きょう)として1826~1851年下院議員。トーリー党(後の保守党)に属し、精神病患者の保護に努め、1842年の炭坑夫保護法、1847年の10時間労働法など、産業革命後の労働者保護立法に貢献し、「労働者、貧民の友」といわれた。1851年父の死によって伯爵を継ぎ、上院に転じ、以後も救貧学校設立や福音(ふくいん)運動に活躍した。
[白井 厚]