改訂新版 世界大百科事典 「ジャイナ教美術」の意味・わかりやすい解説
ジャイナ教美術 (ジャイナきょうびじゅつ)
ジャイナ教の教義に基づき,その宗教儀礼,教化活動のために制作された美術で,インド亜大陸のみに分布する。ジャイナ教は仏教と同じころ興り現代まで続いているが,美術遺品は仏教やヒンドゥー教にくらべて少なく,古代では仏教美術に,中世ではヒンドゥー教美術に類似する点が多い。イスラム教徒の政権下にあっても造寺・造像は比較的許され,またインドのイスラム建築にある程度影響を与えた。
石窟ではオリッサ州のカンダギリ・ウダヤギリの諸窟(前1~後2世紀)が最も古く,マディヤ・プラデーシュ州のウダヤギリ(5世紀前期),バーダーミ(7世紀),アイホーレ(7~8世紀),エローラ(8~10世紀)ではヒンドゥー教寺院と並存している。石積寺院ではアイホーレのメーグティMeguti寺が造営年代(634)の判明している点で重要であり,デーオーガルの30余りの諸寺(多くは9~12世紀)やカジュラーホの諸寺(10~12世紀)は北型建築の代表例であるとともに多くのすぐれた彫像を伴っている。また西インドのグジャラート,ラージャスターン両州,南インドのカルナータカ州にも遺構が多く,前者のアーブー山の二つの寺院(1031,1230)は内部の華麗な彫刻装飾で著名である。またマトゥラーのカンカーリー・ティーラーKaṅkālīṬīlāの発掘や浮彫遺品から,古代にはジャイナ教徒も盛んにストゥーパを造営したことがわかる。
24人の祖師(ティールタンカラtīrthaṅkara)の造像はマトゥラーにおいて仏陀像の出現(2世紀初期)とほぼ同時に始まり,直立または結跏趺坐するその像容は仏陀像に酷似する。しかし全裸であること(5世紀中期以後白衣(びやくえ)派では下半身に衣をまとう),各祖師固有の標幟,胸間の特有のシンボルなどで区別し得る。24人をまとめて造像することも多いが,単独像の作例が多いのは,初代アーディナータĀdinātha(標幟は牡牛),22代ネーミナータNeminātha(法螺(ほら)貝),23代パールシュバナータPārśvanātha(蛇),24代マハービーラMahāvīra(獅子)である。8世紀ころから各祖師にヤクシャ(夜叉,薬叉)とヤクシーを配するようになり,それらの多くはヒンドゥー教起源の神である。なかでもゴームカGomukha(ヤクシャ),アンビカーAmbikā,ローヒニーRohiṇī(ともにヤクシー)が著名で,特に獅子に座して子どもを膝に乗せるアンビカーは作例が多い。古代に遺例の多いナイガメーシャNaigameṣaは羊頭または馬頭のヤクシャである。また,ジャイナ教に特有のものとして奉納板(アーヤーガパッタāyāgapaṭṭa)と呼ばれる浮彫石板がある。
石彫は上記の遺構に付属するもののほか,マトゥラーからクシャーナ時代の優品が多く出土し,ビディシャー郊外から出土した3体の祖師座像は作柄が傑出しているばかりでなく,その刻文は376年ころのごく短期間ラーマグプタがグプタ朝の王位にあったことを示す史料としても重要である。また南インドには巨像が多く,シュラバナベルゴーラにあるゴーマテーシュバラ(アーディナータの息子)の丸彫立像(10世紀末期)は17.5mある。壁画はシッタンナバーシャル(タミル・ナードゥ州)やエローラ(ともに9世紀ころ)にあり,11世紀ころから西インドで盛んに作られた挿絵入り経典写本は,インド細密画の先駆をなす。なお西インドにはブロンズ像も多い。
執筆者:肥塚 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報