中部インド,ジャーンシーの東南東約175kmにあるチャンデッラ朝の古都で,三つのジャイナ教寺院を含む約20の石積みのヒンドゥー教寺院が現存する。9世紀末期にさかのぼる寺院もあるが,黄白色の砂岩製の大部分の寺院は10世紀後半から12世紀前半までにチャンデッラ朝の王族によって建立された。いずれも高い基壇上に建ち,最も完備した寺院では平面は双十字形で,本殿の屋根は多数の小尖塔を積み重ねた高塔(シカラ)となっていて,ブバネーシュワルの諸寺とともにインド北型建築の典型である。内外の壁面を埋める神々,アプサラスapsaras(天女),ミトゥナ(抱擁する男女)のおびただしい彫像は,ほっそりとして軽快で,その姿態は変化に富み,明るい官能性をもっている。11世紀第2四半期のカンダーリヤ・マハーデーバKandāriya Mahādeva寺が最も壮大(高さ30.5m)で,外壁の彫像群も圧巻である。
→インド美術
執筆者:肥塚 隆
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インド、マディヤ・プラデシュ州北部のブンデルカンド地方にある町。ここにあるヒンドゥー教石造寺院群によってその名が知られる。これらの寺院群は10~13世紀にインド北半に覇を唱えたチャンデーラ王朝の最盛期に造営され、この地が同王国の宗教の中心地であった。この寺院群は1986年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。寺院の造営にもっとも力を尽くしたのは第8代ダンガ王(950―1008ころ)で、カンダーリヤ、ビシュバナータ、パールシュバーナータなど大規模な寺院が建立されたが、彼より3代あとのビディヤーダラ王のときイスラム軍の中インド侵入を受けてからチャンデーラ朝はしだいに衰え、その後は寺院の建立はみられなくなった。ジャイナ教を含むヒンドゥー教の寺院群は東西約2キロメートル、南北約3キロメートルの平地に西、東、南の3群に分かれ、小さな堂を含め現在20ほどを数える。寺院の構造はみな東向きで、平面はラテン・クロス状をなし、本尊を安置する神殿は上部が高い塔(シカラ)になっているのが特色で、内部は柱頭、長押(なげし)、天井などに彫像や装飾彫刻が埋められている。寺院の外壁は神像をはじめさまざまな姿態の男女の彫像で覆われ、明るい官能性を表したものが多い。
[永井信一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
インド中部のマディヤ・プラデーシュ州北境の町。遠隔地であるがチャンデーラ朝(9世紀初め~16世紀)の都として栄え,10~12世紀の間に諸王により多くのヒンドゥー寺院が建立された。これらの寺院は壁面の彫刻群,特にさまざまな姿態の男女の姿を描いたエロティックな彫刻で有名である。また本堂の高いシカラ(尖塔)を中心とするその建築様式は,中央インド建築様式の集大成とされる。これらに加え,同時期のジャイナ教寺院も存在する。
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