アメリカの物理学者。イタリア、チボリの生まれ。ローマ大学に学び、1928年フェルミの下で学位を得て同大学助手を振り出しに、ハンブルク、アムステルダムで原子分光学の研究に携わった。1932年ローマ大学助教授となり、フェルミと協力して中性子反応の先駆的研究を行った。1936年パレルモ大学に移り、当時としてはもっとも軽い未知の元素テクネチウムを人工的につくりだした。1938年アメリカのカリフォルニア大学を訪問していたとき、母国のファシスト政府によって大学職を奪われたためアメリカに定住。カリフォルニア大学のサイクロトロンを使って1940年にアスタチン、1941年に原爆の材料となったプルトニウム239を発見。1944年アメリカに帰化。第二次世界大戦中はロス・アラモスでマンハッタン計画に参加したが、戦後、カリフォルニア大学教授となった。1955年反陽子を発見し、1959年共同研究者のO・チェンバレンとともにノーベル物理学賞を受賞した。著書に『原子核と素粒子』(1964)、『X線からクォークまで』(1980)などがある。
[小林武信 2018年8月21日]
『真田順平・三雲昂訳『原子核と素粒子』上下(1972、1973・吉岡書店)』▽『エミリオ・セグレ著、久保亮五・久保千鶴子訳『エンリコ・フェルミ伝――原子の火を点じた人』(1976・みすず書房)』▽『久保亮五・矢崎裕二訳『X線からクォークまで――20世紀の物理学者たち』(1982・みすず書房)』▽『エミリオ・セグレ著、久保亮五・矢崎裕二訳『古典物理学を創った人々――ガリレオからマクスウェルまで』(1992・みすず書房)』
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