ティシュバイン(その他表記)Tischbein

改訂新版 世界大百科事典 「ティシュバイン」の意味・わかりやすい解説

ティシュバイン
Tischbein

ドイツの画家一族で20人余の画家を出したが,代表者として次の2人をあげておく。(1)ヨハン・フリードリヒ・アウグストJohann Friedrich August Tischbein(1750-1812) カッセル宮廷画家である叔父のヨハン・ハインリヒに学んだ後,パリ,ローマ,ナポリ修業。1780年以後ドイツ諸侯の宮廷に仕え,1800年ライプチヒアカデミーの院長に就任(このため〈ライプチヒのティシュバイン〉と呼ばれる)。フランス,とくにビジェ・ルブラン夫人の肖像画の甘美さとイギリス肖像画の自然さを結合した優れた肖像画様式で高い名声を得た。

(2)ヨハン・ハインリヒ・ウィルヘルムJohann Heinrich Wilhelm Tischbein(1751-1829) 前者従弟で同じく叔父に学び,オランダでの勉強を経て1777年ベルリンで肖像画家として成功を収める。ローマ滞在中の86年にゲーテ親交を結び,その肖像を描いて〈ゲーテのティシュバイン〉の異名をとった。1790年代にはナポリのアカデミーの院長を務め,1800年以降は北ドイツで活動した。肖像画と物語画を中心としたその作品には,新古典主義と台頭しつつあるロマン主義的傾向が混在している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティシュバイン」の意味・わかりやすい解説

ティシュバイン
てぃしゅばいん
Tischbein

18、19世紀に多くの画家を輩出したドイツの一族。とくにカッセルで宮廷画家、美術院長を務めたロココの画家ヨハン・ハインリヒJohann Heinrich T.(1722―89)、その甥(おい)でライプツィヒの美術院長を務めた古典派の肖像画家ヨハン・フリードリヒ・アウグストJohann Friedrich August T.(1750―1812)、その従弟(いとこ)で古典派の画家ヨハン・ハインリヒ・ウィルヘルムJohann Heinrich Wilhelm T.(1751―1829)が有名である。

 この最後のウィルヘルムはハイナに生まれ、伯父ハインリヒおよびハンブルクの伯父ヤーコプJakob T.(1725―91)に学び、1779年まで肖像画家として活躍。その後二度イタリアに遊学し、同地に滞在中のゲーテと親しく交友し、86年ローマで『カンパーニャのゲーテ』(フランクフルト市立美術館)を描いたことで有名。ドイツ帰国後はハンブルクに住み、古典主義に基づく画風を推進した。オイティンで没。

[野村太郎]

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百科事典マイペディア 「ティシュバイン」の意味・わかりやすい解説

ティシュバイン[一族]【ティシュバイン】

ドイツ,ヘッセンの画家一族。ヨハン・アウグスト・フリードリヒJohann Angust Friedrich Tischbein〔1750-1812〕は,ヨーロッパ各地を遍歴後,ライプチヒのアカデミーの校長に就任。英国風の表現様式を基礎に,シラーなどの文人や貴族の肖像を描いた。その従弟であるヨハン・ハインリヒ・ウィルヘルムJohann Heinrich Wilhelm Tischbein〔1751-1829〕は,新古典主義とネーデルラント風の写実主義の2要素を合わせもつ肖像画家で,イタリア旅行中のゲーテを描いた《カンパーニャのゲーテ》(1787年,フランクフルト,シュテーデル美術研究所蔵)で有名。

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