物語文学(読み)ものがたりぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「物語文学」の意味・わかりやすい解説

物語文学
ものがたりぶんがく

平安時代から鎌倉時代にかけて盛行した、仮名散文による虚構の創作文学の総称。その起源は、古代の氏族社会における氏族氏族の始祖の神々の事跡を語る神聖な古言(ふるごと)であった。古代国家の形成過程において、氏族の祭祀(さいし)基盤の崩壊に伴い、民間に流伝する口誦(こうしょう)の文芸と化したが、その語り口は約束事として強固に保持され、語り手と聞き手とによって共有される語りの場において、時代・社会の推移変容に伴う新しい生活感情や思考を託す器となった。平安時代になって都市生活の形成とともに個人意識が成熟し、中国における六朝(りくちょう)から隋唐(ずいとう)にかけてつくられた伝奇小説の受容、仮名文字の普及による散文の発達などの諸条件のもとに、この口誦の物語の趣向・筋立てを材とする虚構の物語文学が発生することになった。

 物語の祖といわれる『竹取物語』は明確な主題のもとに新しい人間の息吹が注ぎ込まれた名作であるが、その世界が先行のさまざまの伝承の話型の組合せによって枠どりされていることは注目すべきであろう。日本民族が培ってきた伝統的な心性をくみ上げつつ現実の人間が抱える問題を照らし出したのである。『竹取物語』から『うつほ物語』『落窪物語(おちくぼものがたり)』を経て『源氏物語』へと展開する物語文学の推移は、伝奇的枠組みを利用しつつ、これを超克する過程であったが、その間には、『古今集』の成立以後貴族社会でもてはやされた歌語り、すなわち和歌の詠作にまつわる口誦説話を母胎とする『伊勢物語(いせものがたり)』『平中物語(へいちゅうものがたり)』『大和物語(やまとものがたり)』などの歌物語、あるいはまた『土佐日記』に始まり、女性作家によって引き継がれた『蜻蛉日記(かげろうにっき)』ほかの、いわゆる女流日記文学によって、それぞれに叙情的な人間解放、内面的な人生観照の方法が確立していた。『源氏物語』は、それら先行の諸文学の遺産を総収しつつ、貴族社会の現実を全的に照らし出す巨大な長編物語として傑出している。

 以後『浜松中納言物語(はままつちゅうなごんものがたり)』『夜(よる)の寝覚(ねざめ)』『狭衣物語(さごろもものがたり)』などの長編が追随した。また『堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり)』のごとき10編の短編物語集も現存している。およそ『源氏物語』の影響を濃密に被りながら、それぞれに新趣向を打ち出そうとするものであった。平安時代から鎌倉時代にかけてつくられた物語作品は無数であり、現存するものは秀逸であるがゆえに後世に伝えられたのであろう。『とりかへばや物語』『住吉物語(すみよしものがたり)』など、平安時代の原作に基づいて改作された作品をはじめ、鎌倉時代以降『石清水物語(いわしみずものがたり)』『松浦宮物語(まつらのみやものがたり)』『苔(こけ)の衣(ころも)』『いはでしのぶ』『風につれなき』『浅茅(あさじ)が露』『わが身にたどる姫君』等々があり、これらは擬古物語と総称されている。すでに武士政権の時代であるが、そうした現実を遮断し、総じて『源氏物語』や『狭衣物語』などの世界を憧憬(しょうけい)し模倣することに汲々(きゅうきゅう)たる擬古物語は、一途(いちず)に衰退の道を歩んだといえよう。やがて室町時代の新しい読者層に迎えられた、いわゆる御伽草子(おとぎぞうし)にとってかわられることになる。

[秋山 虔]

『三谷栄一著『物語史の研究』(1967・有精堂出版)』『三谷栄一著『物語文学の世界』(1975・有精堂出版)』『『古代文学の発生』(『風巻景次郎全集3』所収・1969・桜楓社)』『『池田亀鑑選集 物語文学Ⅰ・Ⅱ』(1968・至文堂)』


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改訂新版 世界大百科事典 「物語文学」の意味・わかりやすい解説

物語文学 (ものがたりぶんがく)

日本文学史の用語。あらゆる民族,あらゆる時代がそれぞれ物語をもつ。神話叙事詩昔話や小説,これらはみな物語にぞくする。劇も物語をふくむ。そして近ごろはその機能や構造を分析しようとする〈物語学(ナラトロジー)〉までとなえられており,この気運は今後さらに高まってゆく可能性がある。ここにいう物語文学も,こうした広い意味での物語の一つの特殊な形態と考えていい。〈物語の出で来はじめの祖〉(《源氏物語》)なる《竹取物語》以下,平安中期から鎌倉時代にかけて作られ,おもに貴族の間でもてはやされた物語冊子の類を,日本文学史ではとくに物語文学と呼ぶ。《今昔物語集》や《平家物語》などは,物語の名がついているけれど,ふつう物語文学のなかには入れず,それぞれ説話文学,戦記文学または軍記(物語)という例になっている。斉一性を欠くことになるが,文学ジャンルの名称や区分は地方性をまぬかれがたい節があるからやむをえない。とにかく物語の方が上位の概念であり,したがって物語=物語文学とするこれまでの方式は事態を不当に単純化しすぎていることになる(あえて西欧語に移せば物語はnarrativeとかrécitに,物語文学はromanceとかromanに近いというべきか)。

 この物語文学については,次のような特質を指摘できよう。まず,それが文字で書かれた最初の物語であった点である。《竹取物語》が口誦の素材を下地にしつつそれを読みものに変形し構成しているのは,だからすこぶる象徴的な意味をもつ。むろん文字といっても仮名文字のことにほかならない。物語文学の成立には,民族文字としてのこの仮名文字の発明とそのある程度の普及とが絶対の要件とされたはずである。第2のいちじるしい特質は,女がそのおもな読者であった点である。〈物語と云ひて女の御心をやるもの也〉(《三宝絵詞》)とあるとおり,当時の物語はもっぱら女のための文芸であった。女が小説の読者として果たしている役は今なお大きいけれど,その圧倒的多数が女だというのはやはり特異な現象というほかない。女たちは部屋のなかでのつれづれを慰めるため,物語に読みふけることが多かったようである。物語の主題がたいてい恋にかかわっているのも,このことと無縁であるまい。こうした一般的特質を共有しながらも,物語文学には二つの異なる流れが存した。一つは《竹取物語》のように虚構を旨とした作り物語の流れ,他は《伊勢物語》のように歌を種とした歌物語の流れである。さらに,自己の経験に即した《蜻蛉(かげろう)日記》のごとき日記文学(これもまた物語の一種と呼びうる)の存したことも見落とせない。これらのものを総合して物語文学に新たな次元を拓いた傑作が《源氏物語》である。神話このかたの物語のほとんどすべての要素が,そこには見事に再組織されて生きているといって過言でない。爾後,物語文学の命脈がとみに硬直し衰弱してゆくのも,《源氏物語》がこの文学形式の可能性をほぼ汲みつくしたためではないかと思われる。
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百科事典マイペディア 「物語文学」の意味・わかりやすい解説

物語文学【ものがたりぶんがく】

平安〜鎌倉期に盛行した文学形態。口承文芸を母体とする《竹取物語》に始まるとされ,この作り物語の流れは伝奇的なものから次第に写実性を獲得した。一方,和歌の詞書から発展して《伊勢物語》を代表とする歌物語が成立。さらに作者の経験に即した,《蜻蛉日記》のような日記文学の系譜があり,これも物語の一種と呼ぶことができる。これらを発展的・統一的にうけついで《源氏物語》が出現する。《源氏物語》以後は,《狭衣(さごろも)物語》《堤中納言物語》等の長編・短編が数多く書かれたが,いずれも《源氏物語》とは別の領域をひらくにはいたらず,中世の擬古物語にうけつがれてゆく。仮名文で書かれ,女性を主な読み手としたこれらの物語の退潮と並行して,《大鏡》などの歴史物語,《今昔物語集》以下の説話文学が台頭する。

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旺文社日本史事典 三訂版 「物語文学」の解説

物語文学
ものがたりぶんがく

平安時代,貴族社会の成熟と仮名の発達につれ,飛躍的に発展した散文文学の一ジャンル
『竹取物語』に始まる伝奇的要素の強いものと,『伊勢物語』のように和歌の詞書から発展した歌物語の2系統が,『宇津保物語』『落窪物語』としだいに現実生活に密着したものとなり,『源氏物語』に至って完成した。その後も『狭衣 (さごろも) 物語』以下の擬古物語が書かれたが,やがて武士勢力の成長を背景として,軍記物・説話文学などに分化した。

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