小説家、翻訳家。明治14年3月19日、岐阜市生まれ。本名米松。東京帝国大学英文科卒業。夏目漱石(そうせき)の門に入る。平塚らいてうとの情死未遂事件後、漱石の庇護(ひご)を受け、1909年(明治42)自伝小説『煤煙(ばいえん)』を『東京朝日新聞』に発表する機会を与えられ文壇的地位を得る。小宮豊隆(とよたか)とともに漱石主宰の「朝日文芸欄」を編集しつつ、『煤煙』の続編『自叙伝』(1911)を完成、活発な創作活動に入り、短編『初恋』(1911)、長編『十字街』(1912)などを書くが、みるべき作が少なく、しだいに翻訳を本業とするようになる。25年(大正14)大作『輪廻(りんね)』(1923~25)により、青年期から引きずっていた自己史の問題に決着をつけ、以後『吉良家(きらけ)の人々』(1929)、『豊臣(とよとみ)秀吉』(1941~42)、『細川ガラシヤ夫人』(1950)など歴史小説に新分野を開いた。終生、漱石に対して「永遠の弟子」意識をもち、その評伝『夏目漱石』正続(1942~43)は漱石研究の基本文献として不朽の価値をもつ。第二次世界大戦後、日本共産党に入党し話題をよんだ。昭和24年12月14日没。
[石崎 等]
『『森田草平選集』三冊(1956・理論社)』▽『『明治文学全集75 明治反自然派文学集 二』(1968・筑摩書房)』▽『『現代日本文学大系29 森田草平他集』(1971・筑摩書房)』▽『根岸正純著『森田草平の文学』(1976・桜楓社)』
明治〜昭和期の小説家,翻訳家
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小説家,翻訳家。岐阜県生れ。本名は米松,号に白楊,廿五絃など。1906年東大英文科卒業。一高在学中から創作に関心をもち,西欧とくにロシア文学に傾倒,また生田長江,馬場孤蝶,与謝野鉄幹・晶子らを知る。05年以降夏目漱石に師事し,漱石山房でひらかれる木曜会の中心的存在となり,さらに《朝日新聞》文芸欄の編集実務を担当,みずからも評論を寄せた。それらの体験が後年《夏目漱石》正・続(1942-43)の実感的漱石論を生む。他方平塚らいてうとの恋愛事件(1908)に取材した長編《煤煙(ばいえん)》(1909)を発表,知識人男女の恋愛を通して近代の不安を描く作として世評を呼び,その続編《自叙伝》(1911)を書く。大正期には創作よりも翻訳を多く手がけたが,23-25年の自伝的長編《輪廻(りんね)》で復活,以後《吉良家の人々》(1929)その他の歴史小説を多く執筆した。翻訳にゴーゴリ《死せる魂》(1915)などがある。20-34年法政大学教授を務め,48年共産党に入党するが,翌年病没した。
執筆者:遠藤 祐
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…エロ本の代表と見られていたからである。独訳本に拠って森田草平が《デカメロン》全訳を出版したのは1930年だった。ただし,そのうち最もおもしろい29編は,伏せ字だらけの別の小冊子として発行された。…
…1906年卒業後英語を学ぶ。08年作家森田草平と塩原心中未遂事件(煤煙事件)を起こし世人を驚愕させた。11年生田長江にすすめられ,母から資金を出してもらい,婦人文芸集団青鞜社を興し,同人誌《青鞜》を発刊以後,編集と経営にあたる。…
※「森田草平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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