哲学者、文明評論家。武蔵(むさし)国入間(いるま)郡富岡村(現、埼玉県所沢市)に出生。本名は喜一。17歳で上京。中村正直(なかむらまさなお)の同人社、東京英和学校(現、青山学院)、京都の同志社などに学ぶ。1889年(明治22)渡米、ケンタッキー大学、シカゴ大学などで学び、J・デューイに師事した。1897年帰国、翌1898年東京工業学校(現、東京工業大学)の哲学担当教授に就任し1914年(大正3)まで在職した。この間、東京専門学校(現、早稲田(わせだ)大学)講師を務め、丁酉(ていゆう)倫理会にも参加した。帰国以来王堂はデューイのプラグマティズムの立場にたって旺盛(おうせい)な文筆活動を展開したが、単なる外国文献の翻訳、紹介あるいは解説といった類のものは皆無で、福沢諭吉(ふくざわゆきち)や二宮尊徳(にのみやそんとく)などの思想にプラグマティズムを認めるなど、王堂独自のものであった。彼の思想を貫くものは主著の標題でもある「徹底個人主義」であり、個人の具体的・現実的な「生活」を通じて個性の充実を目ざし、個性の充実は人間の理想としての真善美の基本であるというものであった。著書に『書斎より街頭に』『二宮尊徳の新研究』『福沢諭吉』『徹底個人主義』『我が非哲学』などがある。
[田代和久 2016年9月16日]
『『田中王堂選集』全4巻(1948~1949・関書院)』
明治・大正期の哲学者,評論家,文明史家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
哲学者,文明批評家。本名は喜一。武蔵国(埼玉県)入間郡に生まれ,1889年アメリカに渡ってシカゴ大学に学び,デューイのプラグマティズムの哲学の影響を受ける。帰国後,早稲田大学などで教え,プラグマティズムを紹介するとともに,これとドイツ的理想主義,人格主義を折衷した立場から,《書斎より街頭へ》(1911),《哲人主義》(1912)などの文明批評的著作を著して,明治末から大正期にかけて高揚した近代的自我追求の潮流の一翼を担った。その他の著作に《徹底個人主義》(1918),《象徴主義の文化へ》(1924)などがある。
執筆者:荒川 幾男
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…なお,ジェームズの〈直接経験〉〈純粋経験〉の思想は西田幾多郎,田辺元,出隆らに影響を与えている。一方,デューイの心理学,倫理学,教育思想も中島徳蔵,田中王堂らによって紹介された。このようにジェームズとデューイの思想はかなり早くから日本に受容されているが,ジェームズの思想が日本のアカデミズム哲学者たちの注目を引いたのに対し,デューイの思想は在野の思想家たち(田中王堂,杉森孝次郎,帆足(ほあし)理一郎ら)に受け入れられ,アカデミズム哲学との対決に重要な役割を果たしていることは注目される。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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