田中王堂(読み)タナカオウドウ

デジタル大辞泉 「田中王堂」の意味・読み・例文・類語

たなか‐おうどう〔‐ワウダウ〕【田中王堂】

[1868~1932]哲学者評論家埼玉の生まれ。本名は喜一。米国留学中にデューイ思想を学び、日本にプラグマティズム哲学紹介。著「哲人主義」「我が非哲学」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「田中王堂」の意味・読み・例文・類語

たなか‐おうどう【田中王堂】

哲学者、評論家。名は喜一。武蔵国中富村(埼玉県所沢市)出身。シカゴ大学卒。プラグマティズムの影響を受け、経験主義実証主義の哲学を主張文芸評論、社会評論にも活躍。著「書斎より街頭に」「哲人主義」「徹底個人主義」など。慶応三~昭和七年(一八六七‐一九三二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中王堂」の意味・わかりやすい解説

田中王堂
たなかおうどう
(1867―1932)

哲学者、文明評論家。武蔵(むさし)国入間(いるま)郡富岡村(現、埼玉県所沢市)に出生。本名は喜一。17歳で上京中村正直(なかむらまさなお)の同人社、東京英和学校(現、青山学院)、京都の同志社などに学ぶ。1889年(明治22)渡米、ケンタッキー大学、シカゴ大学などで学び、J・デューイに師事した。1897年帰国、翌1898年東京工業学校(現、東京工業大学)の哲学担当教授に就任し1914年(大正3)まで在職した。この間、東京専門学校(現、早稲田(わせだ)大学)講師を務め、丁酉(ていゆう)倫理会にも参加した。帰国以来王堂はデューイのプラグマティズムの立場にたって旺盛(おうせい)な文筆活動を展開したが、単なる外国文献の翻訳、紹介あるいは解説といった類のものは皆無で、福沢諭吉(ふくざわゆきち)や二宮尊徳(にのみやそんとく)などの思想にプラグマティズムを認めるなど、王堂独自のものであった。彼の思想を貫くものは主著標題でもある「徹底個人主義」であり、個人の具体的・現実的な「生活」を通じて個性の充実を目ざし、個性の充実は人間の理想としての真善美の基本であるというものであった。著書に『書斎より街頭に』『二宮尊徳の新研究』『福沢諭吉』『徹底個人主義』『我が非哲学』などがある。

[田代和久 2016年9月16日]

『『田中王堂選集』全4巻(1948~1949・関書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「田中王堂」の意味・わかりやすい解説

田中王堂 (たなかおうどう)
生没年:1867-1932(慶応3-昭和7)

哲学者,文明批評家。本名は喜一。武蔵国(埼玉県)入間郡に生まれ,1889年アメリカに渡ってシカゴ大学に学び,デューイのプラグマティズムの哲学の影響を受ける。帰国後,早稲田大学などで教え,プラグマティズムを紹介するとともに,これとドイツ的理想主義,人格主義を折衷した立場から,《書斎より街頭へ》(1911),《哲人主義》(1912)などの文明批評的著作を著して,明治末から大正期にかけて高揚した近代的自我追求の潮流の一翼を担った。その他の著作に《徹底個人主義》(1918),《象徴主義の文化へ》(1924)などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田中王堂」の意味・わかりやすい解説

田中王堂
たなかおうどう

[生]慶応3(1867).12.30. 武蔵,富岡
[没]1932.5.9. 東京
哲学者,評論家。本名は喜一,同志社英学校に学んだのち渡米,ケンタッキー,シカゴ両大学に学んだ。 J.デューイ,W.ジェームズ,G.サンタヤナの影響を受け,帰国後,東京高等工業学校,早稲田,立教両大学で教壇に立ちプラグマティズム哲学の導入,紹介に努める一方『書斎より街頭に』 (1911) ,『哲人主義』 (12) により哲学的評論家,文明批評家としてジャーナリズムに登場,以後大正期にかけてプラグマティズムの代表者として活躍した。大正期の著作として『わが非哲学』 (13) ,『徹底個人主義』 (18) ,『最高芸術の大星小星』 (20) ,『創造と享楽』 (21) ,『象徴主義の文化へ』 (24) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「田中王堂」の意味・わかりやすい解説

田中王堂【たなかおうどう】

哲学者。本名喜一。埼玉県所沢近傍の富岡村の出。23歳で単身渡米,ケンタッキーとシカゴ両大学に学び,デューイの薫陶を受けた。滞米9年後帰国,主として早大で講義。理想主義的経験主義の立場から自然主義文学を批判,徹底個人主義者・自由思想家として特異な存在であった。
→関連項目土田杏村

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中王堂」の解説

田中王堂 たなか-おうどう

1868*-1932 明治-昭和時代前期の哲学者,評論家。
慶応3年12月30日生まれ。明治22年渡米。哲学者デューイにまなび,シカゴ大大学院を卒業。帰国後東京高工(現東京工業大),早大,立大の教授となり,プラグマティズムを紹介する。昭和7年5月9日死去。66歳。武蔵(むさし)入間郡(埼玉県)出身。本名は喜一。著作に「哲人主義」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田中王堂の言及

【プラグマティズム】より

…なお,ジェームズの〈直接経験〉〈純粋経験〉の思想は西田幾多郎,田辺元,出隆らに影響を与えている。一方,デューイの心理学,倫理学,教育思想も中島徳蔵,田中王堂らによって紹介された。このようにジェームズとデューイの思想はかなり早くから日本に受容されているが,ジェームズの思想が日本のアカデミズム哲学者たちの注目を引いたのに対し,デューイの思想は在野の思想家たち(田中王堂,杉森孝次郎,帆足(ほあし)理一郎ら)に受け入れられ,アカデミズム哲学との対決に重要な役割を果たしていることは注目される。…

※「田中王堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android