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田中王堂 たなかおうどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田中王堂
たなかおうどう

[生]慶応3(1867).12.30. 武蔵,富岡
[没]1932.5.9. 東京
哲学者,評論家。本名は喜一,同志社英学校に学んだのち渡米,ケンタッキーシカゴ両大学に学んだ。 J.デューイ,W.ジェームズ,G.サンタヤナの影響を受け,帰国後,東京高等工業学校早稲田,立教両大学で教壇に立ちプラグマティズム哲学の導入,紹介に努める一方『書斎より街頭に』 (1911) ,『哲人主義』 (12) により哲学的評論家,文明批評家としてジャーナリズムに登場,以後大正期にかけてプラグマティズムの代表者として活躍した。

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デジタル大辞泉の解説

たなか‐おうどう〔‐ワウダウ〕【田中王堂】

[1867~1932]哲学者・評論家。埼玉の生まれ。本名は喜一。米国留学中にデューイの思想を学び、日本にプラグマティズム哲学を紹介。著「哲人主義」「我が非哲学」など。

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百科事典マイペディアの解説

田中王堂【たなかおうどう】

哲学者。本名喜一。埼玉県所沢近傍の富岡村の出。23歳で単身渡米,ケンタッキーとシカゴ両大学に学び,デューイの薫陶を受けた。滞米9年後帰国,主として早大で講義。理想主義経験主義の立場から自然主義文学を批判,徹底個人主義者・自由思想家として特異な存在であった。
→関連項目土田杏村

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田中王堂 たなか-おうどう

1868*-1932 明治-昭和時代前期の哲学者,評論家。
慶応3年12月30日生まれ。明治22年渡米。哲学者デューイにまなび,シカゴ大大学院を卒業。帰国後東京高工(現東京工業大),早大,立大の教授となり,プラグマティズムを紹介する。昭和7年5月9日死去。66歳。武蔵(むさし)入間郡(埼玉県)出身。本名は喜一。著作に「哲人主義」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

たなかおうどう【田中王堂】

1867‐1932(慶応3‐昭和7)
哲学者,文明批評家。本名は喜一。武蔵国(埼玉県)入間郡に生まれ,1889年アメリカに渡ってシカゴ大学に学び,デューイのプラグマティズムの哲学の影響を受ける。帰国後,早稲田大学などで教え,プラグマティズムを紹介するとともに,これとドイツ的理想主義,人格主義を折衷した立場から,《書斎より街頭へ》(1911),《哲人主義》(1912)などの文明批評的著作を著して,明治末から大正期にかけて高揚した近代的自我追求の潮流の一翼を担った。

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大辞林 第三版の解説

たなかおうどう【田中王堂】

1867~1932) 文明批評家・哲学思想家。埼玉県生まれ。本名、喜一。アメリカ留学中デューイに学び、帰国後プラグマティズムの紹介のかたわら、「書斎より街頭に」「哲人主義」などを発表。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田中王堂
たなかおうどう
(1867―1932)

哲学者、文明評論家。武蔵(むさし)国入間(いるま)郡富岡村(現、埼玉県所沢市)に出生。本名は喜一。17歳で上京。中村正直(なかむらまさなお)の同人社、東京英和学校(現、青山学院)、京都の同志社などに学ぶ。1889年(明治22)渡米、ケンタッキー大学、シカゴ大学などで学び、J・デューイに師事した。1897年帰国、翌1898年東京工業学校(現、東京工業大学)の哲学担当教授に就任し1914年(大正3)まで在職した。この間、東京専門学校(現、早稲田(わせだ)大学)講師を務め、丁酉(ていゆう)倫理会にも参加した。帰国以来王堂はデューイのプラグマティズムの立場にたって旺盛(おうせい)な文筆活動を展開したが、単なる外国文献の翻訳、紹介あるいは解説といった類のものは皆無で、福沢諭吉(ふくざわゆきち)や二宮尊徳(にのみやそんとく)などの思想にプラグマティズムを認めるなど、王堂独自のものであった。彼の思想を貫くものは主著の標題でもある「徹底個人主義」であり、個人の具体的・現実的な「生活」を通じて個性の充実を目ざし、個性の充実は人間の理想としての真善美の基本であるというものであった。著書に『書斎より街頭に』『二宮尊徳の新研究』『福沢諭吉』『徹底個人主義』『我が非哲学』などがある。[田代和久]
『『田中王堂選集』全4巻(1948~1949・関書院)』

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世界大百科事典内の田中王堂の言及

【プラグマティズム】より

…なお,ジェームズの〈直接経験〉〈純粋経験〉の思想は西田幾多郎,田辺元,出隆らに影響を与えている。一方,デューイの心理学,倫理学,教育思想も中島徳蔵,田中王堂らによって紹介された。このようにジェームズとデューイの思想はかなり早くから日本に受容されているが,ジェームズの思想が日本のアカデミズム哲学者たちの注目を引いたのに対し,デューイの思想は在野の思想家たち(田中王堂,杉森孝次郎,帆足(ほあし)理一郎ら)に受け入れられ,アカデミズム哲学との対決に重要な役割を果たしていることは注目される。…

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