マイセン磁器(読み)まいせんじき(英語表記)Meißener Porzellan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイセン磁器」の意味・わかりやすい解説

マイセン磁器
まいせんじき
Meißener Porzellan

ドイツのマイセンで焼成されたヨーロッパで最初の硬質磁器。1709年ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(強健王)のもとでベットガーJohann Friedrich Böttger(1682―1719)が硬質真性磁器の焼成に成功し、翌年マイセンのアルブレヒトブルク城内に王立磁器製作所が開設された。マイセンでは開窯当初は主として朱泥手の炻器(せっき)を焼成していたが、1713年以降は中国の白磁、染付(そめつけ)、日本の柿右衛門(かきえもん)写しの色絵磁器を模倣した磁器が製作された。この初期にマイセンで活躍したもっとも著名な作家は絵付師でシノワズリーの名手ヘロルトJohann Gregor Herolt(1696―1775)と磁器彫像のケンドラーの2人で、彼らによってマイセンは最初の黄金時代を迎えた。

 しかし、その秘法もやがてウィーンミュンヘンベルリンへ流出し、ヨーロッパは18世紀中ごろより陶器から磁器の時代に移行した。マイセンは東洋磁器の熱烈なコレクターであった強健王の死去とともにしだいに衰退の兆しを示し、加えてヨーロッパの宮廷趣味は当時フランスのロココ様式洗礼を受け、マイセンでもその模倣に追従した。しかし、18世紀末から19世紀初めにかけてマルコリーニ伯が工場を受け継いでから活気を取り戻し、ヨーロッパ第一を誇る名窯としての今日的繁栄に導いた。

 マイセン磁器製作所では開窯当初の1720年代ごろまでは中国・日本の磁器を模した作品が焼成されたが、以後はしだいにヨーロッパ的な器形や装飾のものが主流となり、2200点に及ぶケンドラーの「白鳥のディナー・セット」はマイセンの名器のなかでももっとも著名な作品である。ちなみに、英語のザクセン・チャイナドレスデン・チャイナはこのマイセン磁器をいう。

[前田正明]

『オクタゴン編『陶芸の美2 マイセン(東ドイツ)』(1984・京都書院)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイセン磁器」の意味・わかりやすい解説

マイセン磁器
マイセンじき
Meissen porcelain

ドイツのマイセンで作られる最高級の磁器。ザクセン選帝侯アウグスト2世 (→フリードリヒ・アウグスト1世 ) の至上命令で,1708年に E.フォン・チルンハウスと,J.ベットガーによってヨーロッパで最初の赤褐色の 炻器 (→ストーンウェア ) が作られ,のち良質の磁土の発見と製法の改良により同年白磁の製造にも成功したのを始りとする。最初ドレスデンのアウグスト王の宮廷工房で作られていたが,技術の秘密保護と量産を目的とし,10年にマイセンに工場を設立した。主として日本の伊万里焼柿右衛門様式を写したものや中国風の食器,花器,装飾品を製造した。 18世紀中頃にはインド風の散花模様や,ドイツ風の写実的な花模様,ワトーブーシェの絵画をモチーフにした雅宴図 (→フェート・ガラント ) などの絵付けが主体となった。 70年代には新古典主義調が導入されたが,その後フランスのセーブル磁器やイギリスのウェッジウッド窯などに押され停滞した。なおマイセン磁器の技法や様式は,またたく間にヨーロッパ全体に広まり,ヨーロッパ磁器の展開に決定的影響を与えた。第2次世界大戦後は東ドイツ国営工場となり,ドイツ統一後はザクセン州立となった。

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