改訂新版 世界大百科事典 「デーモス」の意味・わかりやすい解説
デーモス
dēmos
いっしょに居住している集団=氏族を原義とするギリシア語。ダーモスdamosともいう。村落共同体,ポリス市民団の民会,貴族に対する平民,ポリスの下部組織としての行政区,あるいは国家そのものを意味することもあった。アテナイで民会を構成する民衆としてのデーモスの最初の人格化は,アリストファネスの《騎士》(前424上演)の登場人物デーモスであるとされ,前4世紀後半以降民主政を象徴するものとして彫刻やレリーフに表現されることがしばしばあった。しかし前6世紀末の陶画工エウテュミデスの絵付と推定されるアンフォラのアッティカ赤絵の図柄にデーモスの人格化の最初の例が見いだされるとの仮説もある。アッティカの行政区としてのデーモスはクレイステネスの改革によって成立したが(前508または前507),都市部のそれは別として,内陸部や海岸部のそれは従来から存在した自然村落を大体において基礎としていたと考えられ,新しい評議会である五百人評議会を構成する評議員(各部族50人)は,各デーモスの人口に比例して選出されたと推定され,比例代議制のはじめとされている。また市民は区名を冠して呼ばれるようになったが,登録されたのは,区制創設当時の居住地だったと思われ,後の市民の区名は必ずしも現住所を示すものではなかった。また創設時の区の数は,前4世紀以降に属する評議員碑文から推定して,今日の研究では139存在したと見られる。デーモスは小共同体をなし,首長(デーマルコス)がこれを主宰し,区独自の共同財産(農地,果樹,牧場などを含む)をもち,これを管理する財務官(タミアス)が選出され,神殿や祭典を主宰する祭司職や触れ役や書記も定められており,区民総会(アゴラ)が区の意思決定機関であった。区民の子は18歳になると一定の審査を経て区民名簿に登録され,それが国制レベルでの民会名簿の基礎となった。ヘレニズム時代以後アテナイの10部族が11,12,13などに変えられることがあったが,新設部族には従来の部族に所属するいくつかのデーモスが割愛されて所属変えとされ,デーモスそのものは従来と変りがなかった。
執筆者:太田 秀通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報