日本大百科全書(ニッポニカ) 「ド・モアブル」の意味・わかりやすい解説
ド・モアブル
どもあぶる
Abraham de Moivre
(1667―1754)
イギリスの数学者。フランスのシャンパーニュ地方のビトリで生まれる。1685年「ナントの勅令」の廃止により、カトリック教徒以外は弾圧されることになり、ド・モアブルの両親は逃亡を決意しロンドンへ移住した。彼の18歳のときであった。ロンドン移住以前にどのような教育を受けていたかは明らかでないが、移住後は当初から数学を教えて家計を助けた。
ニュートンやハリーの紹介で、王立協会で論文を発表できるようになり、1697年にはこの協会の会員に選ばれた。晩年は、眠る時間がしだいに長くなるという奇病に取りつかれ、最後には24時間を眠り続けたまま生涯を閉じた。
確率に関する論文「偶然の原理」(1716)は、確率論における重要なものであるが、彼を語るとき、1730年に公刊された「級数と求積とに関する解析学の諸問題」と題する論文は見逃してはならない。この第1章に「半径1の円の弧AとBの余弦が、それぞれl、xであり、A=nBという関係があると
が成り立つ」という定理がある。現代の記号で表すとl=cosAであるから、l2-1=-sin2Aである。ゆえに
となるので、上の式は
となるので
を得る。また、
であるから
(cosB+isinB)n=cosnB+isinnB
(cosB+isinB)-n=cosnB-isinnB
を得る。これが「ド・モアブルの定理」といわれているものであり、数学の歴史において輝かしい光を放っている。
[小堀 憲]