改訂新版 世界大百科事典 「ナシ族」の意味・わかりやすい解説
ナシ(納西)族 (ナシぞく)
Nà xī zú
中国の少数民族の一つ。チベット・ビルマ語系族に属する。雲南省麗江ナシ族自治県を中心として,維西県,中甸県,寧蒗イ(彝)族自治県,四川省境域一帯に居住する。人口は約28万(1990)。その居住地は平均標高2700mの高地で,古くは農耕と牧畜をあわせて営んでいたが,現在は農耕を主とするといわれる。主要作物は米,トウモロコシ,小麦,ジャガイモ,豆類等である。往古より漢籍史料には〈麼些〉〈磨些〉等の名称であらわれ,近年にいたっても中国,欧米の研究者の間では〈麼些(モソ)Mo-so〉の名称を用いることが少なくない。元来はチベット北東部に居住していた羌(きよう)族の一支で,唐初のころ,麗江一帯に移住してきたという。この時代では烏蛮(うばん)の一部をなし,磨些蛮と称し,越析詔(磨些詔)の建国民となったといわれる。南宋末にはフビライ・ハーンの雲南遠征の際,その土酋が服属し,以後麗江の土司木氏等のナシ族土司の支配下に置かれた。新中国成立以後,〈ナシ(納西)〉(黒い人の意)と称されるようになった。自称は居住地域によって異なるが,麗江,維西,中甸等の県では〈ナシ〉と自称する(約17万。1980)。
この集団は父系の親族組織であり,財産,家屋は男子が相続し,女子の地位は一般的に低く,年ごろになると両親から相手方の両親に売り渡された。結婚の相手は親同士の間で決められ,そのため若い男女の多くがその愛を成就するため心中した。したがって,この集団は他族に比して心中の率が非常に高かったといわれる。宗教はラマ教,大乗仏教,道教,ミャンマーのナツ信仰等の要素も認められるが,中心をなすものはチベット古来の宗教であるボン教の影響を受けたトンバ教である。麗江ナシ族は2種類の固有の文字(絵文字,音標文字)を持ち,巫師トンバが儀礼を行う際にナシ文字の経典を詠誦する。数多くの研究者によって採集翻訳されたナシ族の伝承の中で,最も関心の寄せられたものは,弔葬儀礼等多くの儀礼の際に詠誦される〈人の降臨〉と題する経典である。これはナシ族の創世神話であり,人類の始祖兄弟姉妹による近親相姦が原因で洪水が起こり,唯一人,皮鼓に隠れて難をのがれた男が,天女と結婚して,子孫をふやすというのがその梗概である。元代のころからこの集団は麗江土司木氏の統治下に置かれ,以前は火葬を行っていたが,木氏の権力が衰退した1723年(雍正1)ころから急速に漢化し,土葬に移行したといわれる。
寧蒗イ族自治県の永寧に居住するナシ族の集団は〈ナ〉と自称する。前述の〈ナシ〉と自称する集団とは社会・文化面で数多くの相違がある。その人口は少なく,居住地の永寧一帯で約6000人(1980)である。明代ころから永寧土司阿氏の支配下にあり,1956年の民主改革以前は,土司等の支配階級は父系の親族組織を有していたが,被支配階級の人々は母系の親族組織をもっていたといわれる。この母系の親族組織の単位となるのは〈イトゥム〉という氏族であり,婚姻の形態はアチュ婚姻という,いわゆる妻問婚の形式をとるものであった。男女ともに13歳になって成年式を受けると,別のイトゥムの異性とアチュ関係を結ぶことができた。そして男子が女子の家に行って宿泊して,明け方には戻るという形式をとり(女子が男子の家に通うという場合はわずかであった),こうした関係をひとりで何人もの異性と結ぶ場合が多かったといわれる。新中国成立後,政府は永寧ナシ族に対して,一夫一婦制への移行を奨励しているが,現在もなおアチュ婚姻が残存しているという報告がある。またこの集団はトンバ教の影響を受けたダバ教,ラマ教等を信仰し,ナシ文字をもたず,巫師ダバは口頭で経典を暗誦する。またこの集団は火葬を行っている。
なお前述した〈ナシ〉〈ナ〉と自称する集団のほかに〈マリマサ〉〈ルアンク〉と自称する集団も存することが報告されているが,これらの集団は人口も少なく,現在詳しい報告も発表されていない。またナシ語には西部方言と東部方言があり,〈ナシ〉と自称する集団は西部方言に,〈ナ〉と自称する集団は東部方言に属するという。
執筆者:村井 信幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報