ローザンヌ学派(読み)ろーざんぬがくは(英語表記)Lausanne school 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローザンヌ学派」の意味・わかりやすい解説

ローザンヌ学派
ろーざんぬがくは
Lausanne school 英語
école de Lausanne フランス語

スイスのローザンヌ大学の経済学の講座の初代教授L・ワルラスを創始者とする学派であって、一般均衡理論確立し、後代の経済学に多彩な影響を与えた。ワルラスの主著純粋経済学要論』(1874~77)は、当初は、そのなかで展開された希少性という概念に基づく消費者需要の分析が着目されて、オーストリア学派始祖C・メンガーおよびイギリスのW・S・ジェボンズの著作とともに、限界効用理論の同時発見として注目を集めた。この3人の著作が近代経済学の誕生であるとされていることもまた有名である。それは、古典学派以後長く続いた歴史学派の事実の追求に対して、久しぶりの理論の復活であり、古典学派の客観価値論に対して、主観価値論に基づく経済理論の誕生でもあった。しかし、やがてワルラスの著作の独自の貢献は一般均衡理論の確立にあることが明らかになり、また希少性の理論はかならずしも効用理論ではないことも明らかとなった。

 かくて、ローザンヌ学派特質は一般均衡理論にある。ワルラスの後継者V・パレートは効用理論にかわる選択理論の確立、一般均衡理論の普及に努め、その結果イタリアのM・パンタレオーニ、E・バローネ、L・アモロゾ、フランスのÉ・アントネリ、F・ディビジアなどの後期ローザンヌ学派が生まれた。一般均衡理論の影響は広く深い。すなわち、オーストリアではJ・A・シュンペーターが一般均衡理論の基礎のうえに経済発展理論を構成し、北欧学派の始祖であるスウェーデンのK・ウィクセルはオーストリア学派の資本理論を導入して一般均衡理論を拡充し、アメリカではI・フィッシャーやH・L・ムーアが一般均衡理論による実証分析に努めた。そしてやがてJ・R・ヒックスの『価値と資本』(1939)が現れる。それは一般均衡理論の集大成であり、その後の展開を刺激した。すなわち、J・A・モザックは国際経済理論に適用し、R・トリフィンは独占理論を構成し、D・パティンキンは貨幣理論との結合を図った。また、O・ランゲやP・A・サミュエルソンはヒックスの静学的安定条件論に対して動学的安定条件論を提示し、さらに計量経済学分野ではW・レオンチェフの産業連関分析やM・A・コープランドのマネー・フロー分析も生まれた。

[佐藤豊三郎]

『T・ハッチスン著、長守善他訳『近代経済学説史』(1957・東洋経済新報社)』『『安井琢磨著作集』全三巻(1970~71・創文社)』『L・ワルラス著、手塚寿郎訳『純粋経済学要論』全二冊(岩波文庫)』『K・J・アロー、F・ハーン著、福岡正夫・川又邦雄訳『一般均衡分析』(1976・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローザンヌ学派」の意味・わかりやすい解説

ローザンヌ学派
ローザンヌがくは
Lausanne school

レオン・ワルラスによって創始され,後継者ウィルフレド・パレートによって体系づけられた経済学の一学派。ミクロ経済学の基礎を確立した。2人ともスイスのローザンヌ大学で教壇に立ったのでこの名がある。ローザンヌ学派のパラダイムは一般均衡理論であり,消費者は効用最大化行動により財の需要を決定し,生産者は利潤最大化行動により財の供給を決定し,各財の市場では市場間で相互に依存しながら財の需給が均衡するように価格が決定されるという完全競争市場の価格メカニズムを解明した。またパレート最適という厚生基準を導入して価格メカニズムの効率性を指摘した。この考え方と方法はその後の代表的経済学者クヌート・ウィクセル,ジョーゼフ・A.シュンペーター,ジョン・R.ヒックスによって継承,発展拡充され,近代経済理論の共通の基盤となった。

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