ハイエク(読み)はいえく(英語表記)Friedrich August von Hayek

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハイエク」の意味・わかりやすい解説

ハイエク
はいえく
Friedrich August von Hayek
(1899―1992)

オーストリアの経済学者、思想家ハイエク業績を大別すれば、第二次世界大戦を境として、前期の純粋に経済学的時代と、後期の、経済学を核心としながらも、これを超えて哲学法学、政治学、心理学、人類学等々きわめて広範な分野を、相互間の脈絡を失うことなく、一大理論体系へと進化的evolutionallyに発展させてきた時代とがある。もちろん、後期の萌芽(ほうが)は前期においてすでに明白に見取ることができる。それにしても、後期の深遠で広大な理論的発展は、ハイエクが20世紀における一大思想家であり碩学(せきがく)であることを示して十分である。

 ウィーンに生まれ、ウィーン大学卒業後、1927年オーストリア景気研究所所長となり、29年に発表した貨幣的景気変動論でたちまち世界に令名を馳(は)せ、翌年ロンドン大学へ客員教授として招聘(しょうへい)され、2年後に正教授となった。50年にシカゴ大学へ、62年に旧西ドイツフライブルク大学へ移り、69年から77年まで母国オーストリアのザルツブルク大学の客員教授となったが、その後ふたたびフライブルク大学へ復帰した。その間、74年にノーベル経済学賞を授与された。賞の名のとおり、ハイエクの主として前期における純粋に経済学的貢献に対するものであった。

 貨幣的側面と実物的(生産構造上の)側面との両面から、相対価格体系の変動が景気の変動を発生させるとするハイエク理論は、この問題を捨象し主として集合量の変化に基づき、いわゆるマクロ的分析を行うケインズ派経済学とは、基本的・対照的に違っており、ハイエク‐ケインズ論争は有名である。ケインズ派の凋落(ちょうらく)とともに、改めてハイエク・ブームが始まったのも不思議ではない。かつて一度は「中立貨幣」を説いたハイエクが、1977年に「貨幣の非国有化論(国立中央銀行撤廃論)」を主張するに至ったのも当然かもしれない。だが、ハイエクは「自由放任論者」ではなく、自由社会や自由経済をよりよく発展させるために、政府は何をしなければならないかを、つねに新しい問題として解答していかなければならないという「新自由主義」を説く。主要な著書としては、『価格と生産』Prices and Production(1931)、『資本の純粋理論』The Pure Theory of Capital(1941)、『隷属への道』The Road to Serfdom(1944)、『個人主義と経済秩序』Individualism and Economic Order(1948)、『感覚秩序』The Sensory Order(1952)、『自由の体質とその原理』The Constitution of Liberty(1960)、『法と立法と自由』Law, Legislation and Liberty(1982)などがある。

[西山千明]

『西山千明・矢島鈞次監修『ハイエク全集』全10巻(1986~90・春秋社)』『C. Nishiyama & K. R. Le K. R. Leube (ed.),The Essence of Hayek (1984, Hoover Institution Press, Stanford University, Stanford, California, U.S.A.)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハイエク」の意味・わかりやすい解説

ハイエク
Hayek, Friedrich (August) von

[生]1899.5.8. ウィーン
[没]1992.3.23. フライブルク
オーストリア生れの経済学者。ウィーン大学卒業後官吏となり,1927~31年オーストリア景気研究所長,29~31年ウィーン大学講師を兼任,31年ロンドン大学客員教授,同正教授を経て,50年にシカゴ大学教授,62年に西ドイツのフライブルク大学教授に就任した。第2次世界大戦前はオーストリア学派第3世代の代表的理論家の一人として貨幣的景気理論を展開し,景気の安定のためには貨幣の中立を維持すべきであるという中立貨幣論を堅持する一方,経済政策面では最小限の計画と社会保障を容認しながらも徹底的な自由主義を主張した。その後社会哲学面に関心を移し,47年世界の自由主義者の国際団体モンペルラン・ソサエティーを創立,初代会長 (のち名誉会長) となり,新自由主義の指導者として活動した。『貨幣と景気』 Geldtheorie und Konjunktur theorie (1929) や『価格と生産』 Prices and Production (31) などの著作を通じて,かつてはその貨幣的経済理論によって著名であったが,今日ではむしろネオ・オーストリアンの理論的源流の一人として,あるいは経済理論の枠組みを越えた思想家として評価されている。 74年 G.ミュルダールとともにノーベル経済学賞受賞。主著『資本の純粋理論』 The Pure Theory of Capital (41) ,『隷従への道』 The Road to Serfdom (44) ,『個人主義と経済秩序』 Individualism and Economic Order (48) など著書多数。

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