ギリシアの三大悲劇詩人の一人。アテナイの貴族の家柄のエウフォリオンEuphoriōnの子としてエレウシスで生まれる。僭主ヒッピアスの追放(前510),クレイステネスの民主的改革(前508か507)の時代に成人し,ペルシア戦争ではマラトン,サラミスなどの戦場に出征,その経験が作品に反映されている。前484年以後13回の勝利を悲劇競演において収め,生涯に90編の作品を書き,そのうち7編の完全な作品が現存する。彼はテスピスによって創始された悲劇に,2人目の俳優を加えることによって真の劇としての対話を可能にし,コロスの編成や舞台装置,衣装に改良を加えた。その名声はギリシア世界にあまねく,シラクサの僭主ヒエロン1世に招かれてその宮廷を訪れ(前471-前469の間)《アイトナの女たち》を書き,前458年にも再訪してシチリアのゲラで客死した。その地にある墓碑銘はマラトンでの彼の功績は誇っても,悲劇詩人としての経歴には触れていない。隠喩と難解な形容を用いる彼の文体は,喜劇詩人アリストファネスによって揶揄(やゆ)されはしたが,死後アテナイの民会は彼の功績をたたえて,その劇を上演しようとする者にはコロスが提供される旨の決議をした。
現存の作品はすべて悲劇3編にサテュロス劇を加えて四部作を構成していたが,〈オレステイア三部作〉以外には各一部しか残っていない。《ペルシア人》(前472)はギリシア悲劇の中でも数少ない同時代史を扱ったものであり,これはフリュニコスの《フェニキアの女たち》(前476ころ)をモデルにしているといわれる。劇の舞台はペルシアの都スーサの王宮で先王ダレイオス1世の后が息子の身の上を案じているところに敗戦の報告があり,墓の前で嘆く后の前に先王の霊が現れ,この災いは年若い王クセルクセスの血気にはやり神意に背いた驕慢の報いだと教える。《テーバイに向かう大将》(前467)はテーバイ(テーベ)伝説から題材を取り,ソフォクレスの《コロノスのオイディプス》と《アンティゴネ》との中間に位置する内容を持つ。テーバイの王位に即いたオイディプスの子エテオクレスEteoklēsは,約束の期限が過ぎても兄弟に王位を譲ろうとせず,憤ったポリュネイケスPolyneikēsはアルゴスの軍勢とともに七つの門を持つテーバイに迫る。それを迎え撃つ王は,これを父ののろいによるものと信じて兄弟相討ちの死を遂げるために第7の門に向かう。《縛られたプロメテウス》は《解放されるプロメテウス》《火をもたらすプロメテウス》と続く三部作の最初のものとされ,神々が独占していた火を人類に与えた罪で岩山に磔(はりつけ)にされた神の苦難を描く。《救いを求める女たち》は,1952年発表のパピルス資料により前463年ころのものと考えられる。コロスを中心として2人だけの俳優が同時に登場する古悲劇の特徴のために,従来古い年代のものと考えられていた。これは50人の娘たちが,従兄弟との強制された結婚を嫌って,父ダナオスに率いられてエジプトから父祖の地アルゴスに逃れて来る話である。その地の王ペラスゴスPelasgosは娘たちを守って追手と戦うか,あるいは娘たちを引き渡して神々の怒りと災いを招くか重大な選択に悩んだ末,民会に諮ってその保護を決断する。〈オレステイア〉(前458)は《アガメムノン》《供養する女たち》《慈みの女神たち》の3編が完全に残っている唯一の三部作である。内容については別項〈オレステイア三部作〉を参照されたい。
アイスキュロスは三部作という構成によって,数世代にわたって繰り返される一族や神々の間の争いを描き出すのに十分な時間の長さと空間を作り出した。祭礼の歌と踊りから発したコロスは長大な歌によってまとまった思想や状況説明をし,対話によって劇的緊張と雰囲気を盛り上げていく。《アガメムノン》におけるゼウスと正義の賛歌などから,正義が作者の中心思想だとされるが,彼は単にゼウスの正義がこの世を支配し究極の勝利を収める劇を書いているのではない。むしろ正義をみずからの手で執行しようとして神々の掟と人間の掟の対立の間に悩みながら,与えられた宿命をみずから成就していくエテオクレスやオレステスに彼の正義観が現れている。人間は驕慢や迷妄のために過ちを犯すが,苦しみによって学ぶ者である。古い倫理と新しい倫理の間に苦しみあるいは破滅する者たちを描きながら,民主的な社会にふさわしい新しい問題解決方法を詩人は模索している。
→ギリシア演劇 →ギリシア文学
執筆者:池田 黎太郎
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前525~前456
ギリシアの三大悲劇詩人の一人。アテネの名門に生まれ,マラトンの戦いとサラミスの海戦に参加したと伝えられる。多数の作品のうち現存するのは『アガメムノン』など7編。神話・伝説に取材し,難解な語句を連ねた彼の劇は,神々に対する素朴な信仰をもって人に訴える。『ペルシア人』は唯一の例外で,サラミスの海戦の史料として重要である。
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…アガメムノンの遺児エレクトラとオレステスが,父の仇である実母クリュタイムネストラ(クリュタイメストラ)とその愛人アイギストスを殺害する,という行為をめぐって劇が組み立てられている,という点でも両者は共通する。また別に,アイスキュロスの《コエフォロイ》も同一の行為をめぐって創作されており,古くから,三大悲劇詩人を相互に比較するための,かっこうの題材となっている。【安西 真】。…
…ギリシアの悲劇詩人アイスキュロスの晩年の作品(前458)で,《アガメムノン》《供養する女たち》《慈みの女神たち》の3編が完全に残っている唯一の三部作。作者は三部作という構成によって,数世代にわたり神と人とがかかわり合う壮大な悲劇の舞台を作り出した。…
…このような視点と題材処理の手法は,同じ素材を扱う悲劇詩人との対比において明瞭にされよう。 例えばアイスキュロスの悲劇《縛られたプロメテウス》では,火の神プロメテウスはやむにやまれぬ人間愛に促され,天上の火を盗み人間に与え,技術を授け,文明世界の創造のために己が身を犠牲にする崇高な英雄として扱われている。しかし同時代の喜劇詩人エピカルモスは,プロメテウスを大盗人にしたて,人間も何を盗まれるかと戦々恐々としている様を語っている。…
…今日伝存するのは当時上演された作品総数のおそらく数百分の一に過ぎないが,それでも作者たちの抱いた高遠な展望を十分に知らしめる。アイスキュロスは古い神話・伝説が伝える人間の迷妄,執念,呪詛が織り成す葛藤や悲劇が,新しい正義と秩序のもとに苦難を経つつも解決に向かうべきことを告げている。続いてソフォクレス,エウリピデスらも観客の心眼を,人間の行為と運命を神々の眼からとらえる悲劇芸術の視点にまで高めようとしている。…
…アイスキュロス作のギリシア悲劇。制作,上演年代不詳。…
… ゼウスはもともと,ホメロスの叙事詩に頻出する〈神々と人間の父〉という呼びかけが示すように,インド・ヨーロッパ語族の家父長制を反映した大家族集団の長と考えられたため,また最高神としての概念が,各地に王国が分立したミュケナイ時代に,諸王に君臨する大王のごとき存在として形づくられたため,かつては王と王権の保護者で,正義よりも権威・権力に基づいて支配する神であったが,ギリシアで王政が廃止されてのち,正義と法によって市民生活を守る最高神となったものである。したがってその職掌に,大はポリス(都市国家)から小は家,個人に至るまでの安全を守ること,政治的自由の擁護,主客の義を守ること,嘆願者の庇護,誓約の監視等,いずれも諸法規の未発達な古代社会ではきわめて重要な事項ばかりがあげられるのは当然として,やがては天上天下のいっさいはことごとく彼の摂理の下にあるとの見方も生じ,前5世紀の悲劇詩人アイスキュロスでは,彼はほとんど全知全能の正義の神にまで高められている。おそらく,そうした崇高なゼウスのイメージを念頭に置いてであろう,古代ギリシア最大の彫刻家フェイディアス(前5世紀)は,オリュンピアのゼウス神殿の本尊を制作した。…
…詩人として,また一市民として輝かしい業績を残した彼の90年に及ぶ生涯は,前5世紀というアテナイの最盛期のほぼ全体と一致し,それ自体ギリシア古典文化の典型であり,また象徴と称することができよう。早くも前468年,大ディオニュシア祭の悲劇競演で先輩詩人のアイスキュロスを破って初優勝を遂げて以来,彼は生涯に24回の優勝を数えたといわれる。その間に一市民としては前443‐前442年にデロス同盟の財務長官(ヘレノタミアス)を務め,前440年にはペリクレスの同僚の将軍(ストラテゴス)としてサモスに遠征し,さらにシチリア遠征直後の危機に際しても最高委員(プロブロス)の一人として祖国再建の任に携わっている。…
※「アイスキュロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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