改訂新版 世界大百科事典 「フラトリア」の意味・わかりやすい解説
フラトリア
phratria
古代ギリシアの部族制度の中で,部族と氏族の中間に位置する集団で,胞族または兄弟団と訳されている。複数形ではフラトリアイphratriai(またはパトライpatrai,パトリアイpatriai)。民主政がクレイステネスの改革によって確立する以前のアテナイでは,四つの部族はそれぞれ12のフラトリアから成り,各フラトリアは30のゲノス(氏族)から成っていたと伝えられる。フラトリアは独自の共有財産,それ自身の祭祀と役人と神官をもち,ゼウス・フラトリオスとアテナ・フラトリアとを崇拝し,今日の10月の半ばごろにイオニア人に共通のアパトゥリア(同じ祖先をもつという意味)祭を祝った。フラトリアの成員はフラテレスと呼ばれ,成員の総会が意思決定機関であった。ホメロスでは部族とともにフラトリアも軍隊編制の単位とされている。市民の新生男児は生後3年ぐらいしてアパトゥリア祭第3日目にフラトリア団員に紹介され,嫡出子と認められれば,フラトリアの戸籍であるフラテリコン・グラマテイオンまたはコイノン・グラマテイオンに登録された。しかしそれは区民名簿への登録が同時に市民名簿(民会名簿)への登録の基礎となるのとは異なり,宗教的入籍承認であるにすぎず,市民権の絶対的条件ではなかった。フラトリア自身も入籍を拒否することができたが,国家レベルの法廷で市民権を認められたものは,フラトリアもこれを受け入れなければならなかった。男子が18歳に達すると市民としてデーモスに登録され,軍事と政治に参加することになるが,この時フラトリアでは厳粛な断髪式と神々への供犠によって2度目の正式入籍が認められた。フラトリアはクレイステネスによる部族改変の時は改変されず,その後も存続を認められ,フラトリア団員はその神官職につくことを認められた。なおアパトゥリア祭第3日目のフラトリア入籍の日には,養子や新市民の入籍もおこなわれた。いずれの場合も入籍の可否はこの時のフラトリア成員総会に集まった成員たちの投票で決められた。なお,文化人類学で用いられる〈胞族〉については〈双分組織〉の項を参照されたい。
→ゲンス →フュレー
執筆者:太田 秀通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報