フランス哲学(読み)ふらんすてつがく(その他表記)La philosophie française フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランス哲学」の意味・わかりやすい解説

フランス哲学
ふらんすてつがく
La philosophie française フランス語

フランス哲学は、実にさまざまの個性を内包しながら、しかもなお「一」であることをやめない哲学である。

[伊藤勝彦]

現実に即した人間哲学

その特徴のまず第一は、人間の現実に即してものを考える人間哲学であるということである。フランス人は、ドイツ人のように単なる抽象的思弁をもてあそぶことを欲しない。つねに事実についての具体的な分析を試みる。人間の探究に先だって、まず人間の一般的定義をつくりあげるなどということはしない。人間を現実生活のなかにおいて分析し、日常生活の細部のなかから取り上げてきた、個々の人間に対する実際的、実証的な認識のうえに、その哲学を据えようとするのである。

 F・ストロウスキーFoutunat Strowski(1866―1952)は、フランス精神に備わっているモラリスト的資質として、「1、心理観察の習慣 2、モラルに対する関心 3、人間を知ろうとする性向」の三つをあげている。確かに、フランス人には、直接の利害にとらわれず、ある余裕をもって他人の生活を観察し、同時に自分自身の心を探るという傾向がみられる。実に繊細で鋭敏な心で、あのフランス語特有の表現でいえば、まさにエスプリをもって人々の生活のありさまを観察し、性格を見抜き、弱点をとらえ、その愚劣さを風刺し、嘲笑(ちょうしょう)する。こういうフランス的エスプリを遺憾なく発揮しているのが、ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエールらのモラリスト作家であることはいうまでもない。彼らだけに限らず、フランスの思想家は多かれ少なかれ、モラリスト精神の継承者である。デカルトパスカルのように体系的な傾向をもつ哲学者も、他人の風俗、習慣や性格を観察すると同時に、つねに自己の内部を直視し、自己を探求し続けた人であった。

 ドイツの形而上(けいじじょう)学者で心理学者であったといえるのは、あの皮肉屋のショーペンハウアーただ1人であった。これに反し、フランスの偉大な哲学者はいずれも、心理観察の達人であった。デカルトに『情念論』の著があることはよく知られている。マルブランシュの体系においても、形而上学的思索と心理観察がみごとに溶け合っているのがみられる。コンディヤックも哲学的理論家であると同時に心理学者であった。ルソーやメーヌ・ド・ビランは心理分析への新しい道を開いた。

 フランス人の気質は、どちらかといえば、反形而上学的である。カントヘーゲルのような壮大な思弁的体系をつくりあげることを欲しない。思惟(しい)をいくつかの単純な要素に分解しようとするデカルト的努力は、コンディヤックの感覚主義のなかにも、またコントの実証主義のなかにも生き続けているが、それはあくまで体系化のためでなく、事実に即して考えるための努力であった。ベルクソンのいうように、「体系化ということはむしろ容易であり、ある観念の極限にまで到達することもいともたやすいことであり、むずかしいのは、むしろ、特殊科学の習得を深め、絶えず現実との密着を保つことによって、適当なところで演繹(えんえき)を中止し、しかるべくその演繹を屈折させること」なのである。フランスの哲学者は、ときに体系的整合性を犠牲にしても、個々の事実に忠実であろうとした。そのことは、もっとも体系的な哲学者であったデカルトにおいてすら例外ではなかった。

[伊藤勝彦]

実証科学との結び付き

第二の特徴としては、フランス哲学の「実証科学との密接な結び付き」をあげなければならない。ドイツ哲学の主流、とりわけ19世紀前半におけるドイツ観念論の発展は、実証科学の外側においておこったできごとであった。これに反し、フランスでは哲学はつねに科学との密接な相互関係において発展してきた。18世紀の哲学者ラ・メトリは医者であり、ダランベールは数学者・物理学者コンドルセも物理学者、カバニスは生理学者であった。19世紀のコント、クールノールヌービエらはいずれも数学を経由して登場した哲学者である。20世紀のポアンカレメイエルソン、ブランシュビックらはそれぞれ優れた科学者でもあった。これらのフランス哲学の創始者は、いうまでもなくデカルトだが、彼こそは、哲学と自然科学を一つの体系のなかにおいて緊密に統合した最初の人であった。

 デカルトは観念の明証性、明晰(めいせき)判明知ということだけを真理認識の規準とすることによって、人間理性を教会的権威のきずなから解放し、近代思想の決定的な第一歩を踏み出した。「明晰でないものはフランス的でない」といわれるように、これはフランス的精神の本質的な特徴を形づくる。ベルサイユのフランス庭園に典型的にみられるように、フランス人は空間のすみずみまで見渡せるように明確に、左右対称的に造型された幾何学的形式を好む。物事をきっかり分ける分類癖があり、思考はつねに二元論的である。ドイツ神秘主義が反対の一致を説き、ヘーゲルが対立者の融和をいうのと対照的に、フランス人はあくまで分析的で、反対対立を死守する。ロマンチシズムがドイツ精神の特徴だとすれば、フランス人はつねに現実主義的で、分析的・合理的精神を重んじる。

[伊藤勝彦]

幾何学的精神と繊細の精神

デカルトとともに17世紀のフランス哲学を代表するパスカルは、同時に、天才的な数学者であり、実験的な物理学者であった。彼によれば、真理は明証的観念のうちにだけあるのではない。実在は単なる観念を超えており、われわれは事実に従順で、敬虔(けいけん)な態度によってだけこれに近づくことができるというのであった。彼は、物事を一刀両断式に割り切り、事実の直観よりも抽象的思弁を重んじるところのデカルト的合理主義を否定し、幾何学的、図式的に割り切ることができない事柄を、一目で対象のうちに読み取ることができる繊細の精神の必要を強調した。

 近代思想の主流は、どちらかといえばデカルトの線で発展していったが、パスカル的なサンチマン(直覚知)の哲学の系譜も目だたない形においてではあるが、その底流に存続していた。そして、近代合理主義の限界が自覚される時点において、しばしばパスカルの名が呼び返されることがあった。デカルト的な合理的推論とパスカル的なサンチマン、幾何学的精神と繊細の精神は、フランス的知性の二つの側面を表している。それは元来、どちらが欠けても人間精神をいびつにせずにおかない、相互に補完的関係にある二極であるのだが、人はどうしてもいずれか一方を強調せずにはおかない。

 18世紀において前者の面を受け継いだのがフォントネルやボルテールであり、後者の面を継いだのがルソーやボーブナルグであった。19世紀では、前者の流れはコントやルヌービエにみられ、後者の流れはメーヌ・ド・ビランやラベッソン・モリアンにみられる。20世紀になって両方の傾向を総合しようとしたのがベルクソンであった。彼の立場は知性と直観の二元論である。知性は実在を空間化し、分析し、区別だてをし、これを同質的なものとしてとらえる。これに反し、直観は実在を持続として、すなわち流動的、時間的なものとしてとらえる。知性は対象の外側にたって、それをさまざまの観点からとらえようとするが、直観は対象の内部に入り込んで、その対象の内的生命と一体となろうとする。哲学的認識を与えてくれるものはこの直観だが、哲学的直観は実証科学の分析の成果を利用せざるをえない。ベルクソンの試みたことは、形而上学を実証的事実の領域のなかに導き入れ、科学と哲学の統一というデカルト的理念を現代に復活させることであったのである。

[伊藤勝彦]

表現形式の単純・平明さ

そのベルクソンの指摘するフランス哲学のもう一つの特徴は、「表現形式の単純・平明さ」ということである。フランスの哲学者は特定の人々だけのために書くことはしない。理性を正しく働かすことができる人ならば、だれにでもわかるように、くふうを凝らして自説を発表する。だから、表現のスタイルも、かならずしも学術論文の体裁をとらず、ときには自叙伝、日記、書簡、対話、箴言(しんげん)など、さまざまの形式を採用する。いきおい、文学との結び付きが非常に強くなる。哲学者の著作を第一級の文学作品として鑑賞できる場合が少なくない。デカルトの『方法序説』は「私の精神の歴史」として、つまり自叙伝のスタイルを借りて書かれた。しかも、これは当時の学者用語のラテン語ではなく、フランス人のだれにもわかるフランス語で著された。もともと既成の権威をありがたがる学者たちを相手にせず、「女、子供にもわかるように」という配慮で出された書物であったのである。

 フランスの一流の哲学者にして大学教授はほとんどいない。モンテーニュ(市長)、デカルト、パスカル(貴族)、マルブランシュ(僧侶(そうりょ))、メーヌ・ド・ビラン(政治家)、アラン(高校教師)、サルトル(作家)など、みなそうである。この点、主要な哲学者のほとんどが大学教授であるドイツの場合と比較して対照的である。おそらく、フランスの哲学が大学の講壇からではなく、市井の一般庶民の間から生まれるにふさわしい、人間的な思想であるからだろう。ごく最近の傾向として、ジャック・デリダやドルーズなどの著作において異常に難解で晦渋(かいじゅう)な表現がみられるが、それはドイツ哲学の影響ということもあろうが、それよりも、もともと言語化することがほとんど不可能なあいまいな事態を無理に言語化しようとしたためと思われる。

 元来、フランス人はことさら奇異な造語をつくることを好まず、できるだけ平易な自国語で事実に直面しつつ語ろうとしてきた。それは、フランス哲学が普遍的な人間性に訴える「人間の哲学」であったからである。

[伊藤勝彦]

『沢瀉久敬著『仏蘭西哲学研究』(1947・創元社)』『掛下栄一郎他訳『ベルグソン全集9 小論集Ⅱ』(1965・白水社)』『ストロウスキー著、森有正他訳『フランスの智慧』(1951・岩波書店)』『伊藤勝彦著『人類の知的遺産34 パスカル』(1981・講談社)』

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