フレネル(読み)ふれねる(英語表記)Augustin Jean Fresnel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フレネル」の意味・わかりやすい解説

フレネル
ふれねる
Augustin Jean Fresnel
(1788―1827)

フランスの物理学者ノルマンディーのブロリーに生まれる。1800年にカーン中央学校に入学、1804年にはパリの理工科大学校(エコール・ポリテクニク)で土木工学(シビル・エンジニアリング)を学び、橋梁(きょうりょう)築堤学校を経て、政府の技師となった。1814年のナポレオンの百日天下の動乱のころから光学の研究を始めた。1818年にはアラゴ助力でパリでの勤務となり、その後6年間に多くの科学的成果を生み出した。灯台監督官に任命されたほか、1823年にはフランス科学アカデミーの会員に選ばれ、1827年にはイギリスの王立協会からランフォード・メダルを授与された。

 フレネルを有名にした業績は光の波動論の形成である。18世紀末ごろの光学は、ニュートン力学の普及と相まって、光の粒子説(放射説)が主流であった。しかし、19世紀に入ると、結晶などの鉱物の光学的性質が詳しく研究され始め、光学理論の再体系化が図られるようになった。1815年にフレネルは「光の回折について」と題する論文で、T・ヤングとは独立に、粒子説の批判を行った。一方、科学アカデミーは、粒子説を支持する立場で、未解決の回折現象の理論化を1817年の数理部門の懸賞問題として取り上げた。フレネルは粒子説をとらず、ホイヘンスの素元波の概念干渉原理を用い、光の回折現象のみならず、光の直進性などの説明を試み、1818年に提出した。フレネルの光の波動論は、アカデミーの意図に反したが、実験に基づき、しかも数学的に論じたことから、翌1819年に賞が与えられた。フレネルは当初、音とのアナロジーから光を縦波だと考えていたが、偏光や複屈折についての実験から、横波と考えるようになった。この結果、光の波を伝える媒質(エーテル)の性質が研究対象となり、1824年にはエーテルの動力学的性質の基礎づけを行った。この説はコーシーに引き継がれ、光の弾性波動論として体系化された。

[河村 豊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フレネル」の意味・わかりやすい解説

フレネル
Fresnel, Augustin-Jean

[生]1788.5.10. ブロイ
[没]1827.7.14. ビルダブレ
フランスの物理学者。政府の土木技師。1815年トマス・ヤングとは別個に光の波動説を唱え,光の回折干渉の現象を論じた。この時点では光を縦波としてとらえていたが,のちに偏光現象を説明するために横波説の立場から数学的な光学理論を展開した。また,1818年には光行差の問題などから光学現象への地球の運動の影響を研究し,不動エーテル仮説と随伴係数を導入した。これら理論的研究に加えて灯台の反射鏡の代わりにフレネルレンズと呼ばれる複合レンズを開発するなど,実験的研究にも卓越した業績を残した。

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