タイラー(読み)たいらー(英語表記)John Tyler

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タイラー」の意味・わかりやすい解説

タイラー(Sir Edward Burnett Tylor)
たいらー
Sir Edward Burnett Tylor
(1832―1917)

イギリスの人類学者。16歳のとき父の鋳物工場の事務員となった。20歳のころ結核にかかり、転地療養のためアメリカ旅行にゆき、メキシコキューバを旅し、幅広い知識を身につけた。やがて1884年オックスフォード大学の初代人類学教授となった。「人類学の父」とよばれる。タイラーは主著の『原始文化』(1871)のなかで、「文化あるいは文明とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣習その他、社会の成員としての人間によって獲得されたあらゆる能力や慣習の複合体である」と述べ、文化の概念を初めて明らかにするとともに、文化に関する科学的研究の基礎を築いた。初期の研究では、たとえば類似の神話が世界各地にあることなどに注目し、文化の伝播(でんぱ)の可能性を示唆しているものの、その後の彼の研究は方法論的には進化主義の立場をとり、世界の諸文化を野蛮、未開、文明の三発展段階のなかに一系列的に位置づけようとした。彼の研究でとくに有名なものは宗教の起源論、本質論である。タイラーは宗教の最小定義を「霊的存在への信仰」とし、そのもっとも原初的な形態はアニミズムであると主張した。アニミズムとは万物に霊魂が宿るとする信仰、「あらゆる自然の生命化(アニメーション)の信仰」である。そして、アニミズムは死霊崇拝、精霊信仰などを経て、多神教、さらに一神教へ進化すると論じた。タイラーの説は、その後、とくに進化主義に対して厳しく批判されたが、人類学的研究の先駆者の一人としていまなお高い評価を受けている。

[板橋作美 2018年12月13日]

『蒲生正男編『現代文化人類学のエッセンス』(1978・ぺりかん社)』


タイラー(John Tyler)
たいらー
John Tyler
(1790―1862)

アメリカ合衆国第10代大統領(在任1841~45)。同名のバージニア知事判事次男。弁護士、州議会議員、1816年以後連邦上下両院議員、知事などを歴任。41年副大統領就任直後、ハリソン大統領の死により大統領となった。同年9月、合衆国銀行再建法に対する拒否権行使で与党ホイッグ党支持を失い、44年テキサス併合条約締結後第三党結成に失敗し、再選を断念して引退した。しかし南北戦争中、生涯の堅固な南部州権論を貫き、南部連合議員となった。

[安武秀岳]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タイラー」の意味・わかりやすい解説

タイラー
Tylor, Sir Edward Burnett

[生]1832.10.2. ロンドン
[没]1917.1.2. ウェリントン
イギリスの文化人類学者。クェーカー教徒の家に生れ,トッテンハムの宗派学校を卒業。 1883年オックスフォード大学博物館に勤務。 84年同大学講師,96年オックスフォード大学の人類学初代教授。アメリカ,メキシコを旅行したのち,経験主義的立場から人類文化の発展を研究し,文化残存によるアニミズムの理論をはじめ比較文化調査による理論を発表した (→進化主義人類学 ) 。タイラーによる「文化」「言語」「宗教」の定義は,今日まで人類学の基礎となっている。イギリス学士院会員。 1912年にナイトに叙せられた。主著『アナワク』 Anahuac; or,Mexico and the Mexicans Ancient and Modern (1861) ,『原始文化』 Primitive Culture (71) ,『文化人類学入門』 Anthropology: An Introduction to the Study of Man and Civilization (81) 。

タイラー
Tyler, John

[生]1790.3.29. バージニア,チャールズシティー
[没]1862.1.18. バージニア,リッチモンド
アメリカの政治家。第 10代大統領 (在任 1841~45) 。法律家として活躍したあと,バージニア州議会議員 (11~16,23~25,39) ,連邦下院議員 (17~21) ,バージニア州知事 (25~27) ,連邦上院議員 (27~36) を歴任。民主党綱領をめぐって A.ジャクソンと決別してからホイッグ党に加わり,1840年 W.ハリソンの副大統領として当選,翌年4月4日のハリソンの死によって史上初めて副大統領から大統領に昇任。就任後は,民主,ホイッグ両党から離れ,独自の立場を取った。彼の在任中,テキサス併合 (45) と海軍の再編成が目立った。強力な州権論者であったが,南北戦争直前には南北の妥協に努力し,それが失敗に終るとバージニアの連邦からの脱退を主張。南部連合の下院議員に当選したが,議会開会前に死亡した。

タイラー
Tyler, Royall

[生]1757.7.18. ボストン
[没]1826.8.26. バーモント,ブラトルボロ
アメリカの法律家,劇作家,小説家。ハーバード大学に学び,法律家となり,バーモント州最高裁判所長官 (1807~13) ,バーモント大学教授 (11~14) をつとめた。かたわら創作活動を活発に行い,アメリカ人の手になる最初の喜劇『対照』 The Contrast (1787) を発表して成功。これはイギリスとアメリカとの風俗習慣の違いを描いた風刺劇で,ヤンキー気質を初めて舞台に取上げたという意味で注目に値する。ほかに小説『アルジェの捕囚』 The Algerine Captive (97) ,架空の書簡集『ロンドンのヤンキー』 Yankey in London (1809) など。

タイラー
Tyler, Wat (Walter)

[生]?
[没]1381.6.15. ロンドン
1381年のイギリス農民一揆の指導者。人頭税に反対し,封建的圧制の廃止を求めるケントの農民を指導して6月7日蜂起。エセックス,イーストアングリアの農民も加わって大勢力となる。6月 10日カンタベリーを襲い,次いでロンドンに迫り,6月 14日マイルエンドで国王リチャード2世に会見して要求を提出,その譲歩の約束を得た。しかし翌 15日スミスフィールドでさらに急進的な綱領を掲げて再び国王と会見した際,国王側の計略にかかってロンドン市長 W.ウォルワースに殺され,一揆も急速に鎮定された。

タイラー
Tyler, Moses Coit

[生]1835.8.2. コネティカット,グリスウォルド
[没]1900.12.28. ニューヨーク,イサカ
アメリカの歴史家。思想,文化史研究の先駆者。 1867年ミシガン大学英文学教授に就任,のち 81年コーネル大学でアメリカ最初のアメリカ史教授となった。「アメリカ歴史協会」の設立者 (1884) 。主著『植民地時代アメリカ文学史』A History of American Literature During the Colonial Time (78) ,『アメリカ革命文学史』 The Literary History of the American Revolution,1763-1783 (2巻,97) 。

タイラー
Theiler, Max

[生]1899.1.30. プレトリア
[没]1972.8.11. ニューヘーブン
アメリカの微生物学者。牛疫,アフリカ馬疫など獣医学,熱帯病学にすぐれた業績を残した A.タイラー卿 (1867~1936) の子。ロンドンのセントトマス病院と公衆衛生・熱帯医学校で医学教育を受けたのちアメリカに渡り,1922~30年ハーバード大学講師,30年ロックフェラー財団研究部長,同財団実験所長,51年同研究所医学部長,公衆衛生部長。感染症,特に黄熱を研究し,黄熱ワクチンを開発した。その功績により 51年ノーベル生理学・医学賞を受けた。

タイラー
Tyler

アメリカ合衆国,テキサス州北東部の都市。ダラスの東南東約 140kmに位置する。その名はアメリカ大統領 J.タイラーに由来。農業地域の中心地であったが,1930年の東テキサス油田の発見以後,多くの石油会社が進出,急激な人口増加をみた。農業は綿花,トウモロコシ,花卉などを産し,特にバラの生産量が多い。石油精製および軽工業が発達。私立テキサス大学,タイラー州立公園,市立バラ園などがある。 10月のタイラーバラ祭や9月の東テキサス博覧会は有名。人口7万 5450 (1990) 。

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