ブルゴーニュ楽派 (ブルゴーニュがくは)
École de Bourgogne[フランス]
Burgundian school
アルス・ノバとフランドル楽派を結ぶ15世紀前半の楽派。ときにフランドル楽派の第1期と呼ばれることもある。代表的な作曲家にはバンショアやデュファイがいる。現在のブルゴーニュはディジョンを中心とするフランス東部地方を指すが,1363年から1477年まではバロア家が治める公国であった。なかでもフィリップ2世の治世(1419-67)には,オランダ,ベルギー,ルクセンブルク,フランスの一部などを含む一大公国となっていたが,歴代君主が芸術を保護したので,公国は諸文化面とりわけ音楽分野でヨーロッパの中心的存在となり,多くの優れた音楽家を輩出した。1420年代の後半からディジョンの宮廷礼拝堂聖歌隊員となったバンショアは,モテットや宮廷風恋愛歌に多くの傑作を残したし,属領であった北フランスのカンブレーでは,イギリスのダンスタブルやイタリア音楽の影響を受けたデュファイが,宗教曲や世俗曲で新鮮な響きを生み出していた。これら二大作曲家のほかには,フォンテーヌPierre Fontaine(14世紀末~1450ころ),カンブレーの楽長リベールReginaldus Libert(生没年不詳),フランドル出身のランタンLantins一族,エーヌ・ファン・ギゼゲムHayne van Ghizeghem(生没年不詳),ビュノアAntoine Busnois(1430ころ-92)らの名を挙げることができる。彼らの音楽は,抒情的な主旋律,充実した和音,典雅な情趣を特徴とするが,宗教的作品よりも世俗的恋愛歌にその本領が発揮されている。世俗歌は通例3声で,声と楽器で奏された。ディジョンの宮廷にはヨーロッパ各地から楽器奏者が集められ,饗宴,舞踏会,儀式や祭典のおりには音楽を盛んに奏したらしい。また,君主たちはリュート,ビオル,ハープなどよりも,トランペット,バッグ・パイプ,そしてダブル・リードの円錐管の管楽器ショームのように大きな音を出す楽器を好んだらしい。15世紀半ば過ぎにはブルゴーニュ楽派はフランドル楽派の流れに吸収されていった。
→フランドル楽派
執筆者:高野 紀子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「ブルゴーニュ楽派」の意味・わかりやすい解説
ブルゴーニュ楽派【ブルゴーニュがくは】
15世紀前半,ブルゴーニュ公国の宮廷やその属領を中心に栄えた楽派,または活動した音楽家たちの総称。フランス中東部地方をさす現在の呼称とは異なり,当時のブルゴーニュはバロア朝が治める公国で,最盛時のフィリップ・ル・ボンの治世(1419年−1467年)には広大な領土を有してヨーロッパ文化の中心地となり,音楽の分野がことに栄えた。中世末期の〈アルス・ノバ〉と初期ルネサンスの〈フランドル楽派〉第1期を結び,バンショアやデュファイに代表される。その精華は世俗歌曲にあり,通例3声のポリフォニーが声と楽器で優美に紡がれる。デュファイはミサ曲の発展にも大きく寄与した。
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ブルゴーニュ楽派
ぶるごーにゅがくは
Burgundian school 英語
burgundische Schule ドイツ語
école de Bourgogne フランス語
scuola borgognona イタリア語
15世紀に、ブルゴーニュ公国の宮廷およびその周辺で活躍した音楽家たちの総称。14世紀の後半に生まれ、15世紀の中葉過ぎまで存在したバロア系ブルゴーニュ公国は、15世紀のフィリップ2世の治世下(1419~67)に最盛期を迎え、政治的にも文化的にも当時のヨーロッパの中心的な勢力となったが、その宮廷ではバンショワをはじめとする優れた作曲家が活躍し、宮廷風の愛を歌った多声シャンソンや典礼音楽を展開していった。ブルゴーニュの宮廷音楽は、その周辺の地域、たとえばフランスの宮廷、サボア公国の宮廷、北イタリア諸都市、それに司教都市カンブレの音楽に大きな影響を与え、そうした周辺の地域で活躍したデュファイなども、ブルゴーニュの宮廷音楽の影響を受けた音楽を書いていった。
[今谷和徳]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ブルゴーニュ楽派
ブルゴーニュがくは
Burgundian school
15世紀にフランス北東部のブルゴーニュ公国に栄えた楽派。主要な作曲家としては G.デュファイ,G.バンショアがあげられる。 14世紀アルス・ノバの伝統を基礎に,イギリスのフォブルドンの書法やイタリアの新しい感覚を取入れて,J.オケヘム,ジョスカン・デ・プレらのフランドル楽派を準備した。楽種としてはミサ,モテト,イムヌス,マニフィカト,世俗シャンソンなどがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のブルゴーニュ楽派の言及
【音楽】より
…14世紀に芽生えたルネサンス的ないぶきは15世紀前半になってさらに強まる。ブルゴーニュ公国の宮廷やその広大な領土内で活躍した一群の作曲家をブルゴーニュ楽派というが,その代表者G.デュファイとG.バンショアは,J.ダンスタブルを中心とするイギリス音楽から大きな刺激を受け,ミサ曲やフランス語のシャンソンの分野で豊かな成果を生んだ。特に,古くからイギリス人が好んだ3度や6度の音程を採り入れ,その後西洋音楽の基礎となる3度和声を確立したことが重要である。…
【合唱】より
…14世紀ころまでのポリフォニー楽曲はむしろ重唱に近く,器楽も重用されており人間の声と器楽とは対等に扱われていた。 15世紀中ごろのブルゴーニュ楽派のバンショア,デュファイなどになると,〈コロcoro〉という指定がされており,今日的な意味での合唱スタイルはこのときに始められた。しかし器楽が声楽部と重複して奏されることが普通に行われ,声楽のみで演奏されることはむしろまれである。…
【シャンソン】より
…マショー以後,14世紀末から15世紀前半にかけての音楽家チコニアJohannes Ciconia(1335ころ‐1441),マテウス・デ・ペルージオMatheus de Perugio(?‐1418以前),コルディエBaude Cordierらの歌曲には,シンコペーションやポリリズムを多用した複雑な様式からいっそう単純化した様式への推移が見られる。 15世紀,G.デュファイ,G.バンショアに代表される[ブルゴーニュ楽派]の時代に入り,世俗歌曲の呼称としてようやく〈シャンソン〉の語が定着する。およそ70曲のデュファイのシャンソンはほとんどが3声で,最上声部優先の傾向は保持しつつ,下声部にも歌いやすい音型が与えられてほぼ全声部が対等に扱われ,抒情豊かな洗練された旋律が歌われるようになる。…
【フランス音楽】より
…
[ルネサンス]
15世紀は,中ごろまで,フランス東部・北部よりフランドル地方までを領有したバロア公のブルゴーニュ公国から出た音楽家たちが,ヨーロッパ音楽の推進力となっていた。バンショア,デュファイの作品によって,この[ブルゴーニュ楽派]は代表される。イギリスのダンスタブルの名なども,この楽派に加えることがある。…
【ポリフォニー】より
… 声楽ポリフォニーchoral polyphonyが最盛期を迎えたのは15~16世紀のルネサンス時代である。15世紀前半の[ブルゴーニュ楽派]では,イギリスで古くから発展していた3度(当時はまだ不完全な協和音程と考えられ,曲の要所での使用が認められていなかった)の用法と,大陸の複雑な対位法とが融合され,3度と6度の即興的な平行進行からなるフォーブルドンfauxbourdon(フランス語)に代表されるような,流れるような歌唱的旋律と3和音的な響きの豊かさからなる新しいポリフォニーが生まれた。定旋律も従来は低声部に置かれて,楽曲全体を精神的にも構造的にも支配していたが,これが上声に移されることによってバスが自由になり,和音進行にも新たな可能性が生じた。…
【ルネサンス音楽】より
…しかし,一方ではとくに鍵盤音楽やリュート曲などを中心に,純粋な器楽の芽生えも1500年ころまでには見受けられるに至っている。 約200年にわたるルネサンス時代は大別して[ブルゴーニュ楽派]の活躍を中心とした初期(1420‐80ころ),[フランドル楽派]の台頭から通模倣様式の完成に至る中期(1480‐1530),円熟期であるとともにマニエリスム的傾向がみられるようになる後期(1530‐1600ころ)に分けることができる。1400‐20年は中世からルネサンスへの過渡期とも考えられ,フランスを中心に中世理論に基づく最も複雑な音楽が作曲され続けた一方では,[J.ダンスタブル]によって代表されるイギリス楽派の手によって,より単純で響きのよい作品が生み出されていた。…
※「ブルゴーニュ楽派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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