改訂新版 世界大百科事典 「プロクセミクス」の意味・わかりやすい解説
プロクセミクス
proxemics
文化人類学の一分野で,それぞれの文化における空間認識のあり方を,日常行動,居住空間,美術,文学などのうちに表現されたものを通して研究する。各文化は人対人,人対物,物対物の空間的関係について,意識的・無意識的に独自の認識枠組みを形成している。この研究分野は,個別文化におけるこの種の認識枠組みを明らかにするとともに,それらに比較文化論的検討をも加えようとするもので,アメリカの文化人類学者ホールE.T.Hallの1950年代の研究に端を発する。
たとえば日本文化において,畳の上の特定の位置に特定の姿勢で腰を下ろすことは,部屋の構造,家具の配置,同室内の他者の位置などとの関係によって,尊大,謙譲,不躾(ぶしつけ),恐縮その他,さまざまの意味を帯びてくる。これら人のとる姿勢・表情をも含めた空間的関係の意味の読み取りについては,文化の成員の間に共有された一種の文法が成立しているが,言葉において文法は普通意識されないのと同じく,この〈文法〉も意識にのぼることは少ない。また,この〈文法〉は文化によってかなりの違いがあるから,この差違が異文化と接触する場合の誤解や衝突の原因ともなりやすい。たとえば会話の際,アラブ人は欧米人よりも相手に接近して,相手の目を見据えて話すことが多いが,欧米人はこれに対して圧迫感をいだきがちである。
このように対人距離のとり方ひとつをとっても,それについてのルール(あるいはルールの食違い)は相互のコミュニケーションにおいて大きな意味を担っている。このようなことから,いわゆる非言語的コミュニケーションの一つの相としてプロクセミクスへの関心も高まった。また精神医学や環境心理学の分野においてもプロクセミクス的関心を反映した研究例がしばしば見られる。各文化特有の空間知覚は人間存在の〈かくれた次元〉であるというホールの指摘と,プロクセミクスという造語により,この領域の現象に対する関心と理解が増したといえる。
→空間
執筆者:藤崎 康彦
動物の距離認識
スイスの動物学者でバーゼル動物園の園長だったヘディガーH.Hediger(1908-92)は,1930年代に,脊椎動物が捕食者や人間に出会ったときの反応が相互の距離によって変化し,その距離は種に固有であることに気がついていた。すなわち,捕食者がある距離以内に近寄ると逃走反応が起こり,なんらかの理由で逃げられずに次のある距離以内に近づくと今度は攻撃行動(防衛反応)が起こり,さらに次のある距離以下に追い詰められるともっと激しい攻撃行動(臨界反応)が起こるのである。ヘディガーはこの距離をそれぞれ〈逃走距離〉〈防衛距離〉〈臨界距離〉と名付けた。また,1941年には,同種の個体が相互に接触(たとえばめじろ押し,相互毛づくろい,相互羽づくろいなど)を許す種とそれを許さない種があること,後者では,たとえば電線に並んだツバメやムクドリで見られるように,互いに接近を許す最低距離があることに気づいて,この距離を〈個体距離individual distance〉と呼んだ。ヘディガーのこの考えは,著書が1950年に英訳(《Wild Animals in Captivity》)されて以後英語圏にも広まり,ホールのプロクセミクスの発想を生む刺激となった。
執筆者:浦本 昌紀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報