ヘルツシュプルング(読み)へるつしゅぷるんぐ(その他表記)Ejnar Hertzsprung

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルツシュプルング」の意味・わかりやすい解説

ヘルツシュプルング
へるつしゅぷるんぐ
Ejnar Hertzsprung
(1873―1967)

デンマーク天文学者恒星の明るさと色との関係HR図)の発見者。コペンハーゲン近郊に生まれ、1898年コペンハーゲン工科大学で化学工学を修め、技術者としてライプツィヒで光化学を学んだ。この地で天文学者シュワルツシルト知遇を得て、1902年帰国してウラニア天文台で員外助手として観測技術を身につけた。1905年、恒星の絶対光度(明るさ)とスペクトル型(色)との関係を図示した結果、赤色星に巨星矮星(わいせい)の2種があることを発見した。1909年シュワルツシルトに招かれてゲッティンゲン大学の天文学準教授、ついでポツダム天文台員に加えられた。1919年オランダのライデン大学天文台に副台長として迎えられ、1935年同台長となり、1945年に退任した。HR図のHはヘルツシュプルングの頭文字で、最初この絶対光度とスペクトル型の関係を写真雑誌に発表、その後、アメリカのH・N・ラッセルがまったく別個にこの関係を発見し、Rの頭文字を並用させてよぶようになった。

[島村福太郎 2019年2月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘルツシュプルング」の意味・わかりやすい解説

ヘルツシュプルング
Ejnar Hertzsprung
生没年:1873-1967

デンマークの天文学者。初め化学を学んで技術者になったが,29歳から天文学に転じた。ゲッティンゲン大学を経て1909年よりポツダム天体物理研究所員となる。この間1905年に,スペクトルにcという特徴をもつ星は一般の星よりずっと明るくて半径の大きい星であること,つまり星には巨星と矮星(わいせい)の区分があることを発見。11年にはプレヤデス,ヒヤデス両星団の星について,星の色を横軸,明るさを縦軸としてグラフに表現した。これがヘルツシュプルング=ラッセル図の原型である。12年にはアメリカのウィルソン山天文台の客員として,当時世界一の1.5m反射望遠鏡に粗い対物格子を装着して星の光の有効波長を測って色を表現する方法を開発した。19年以後はライデン天文台長となり,星団の研究や連星変光星の写真測光観測などに多くの業績を残した。
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百科事典マイペディア 「ヘルツシュプルング」の意味・わかりやすい解説

ヘルツシュプルング

デンマークの天文学者。初め技術者。恒星のスペクトル型と絶対等級の関係を研究,1905年巨星と矮星(わいせい)の2群があることを認め,1911年にはヘルツシュプルング=ラッセル図基礎をつくった。ほか固有運動,視差,変光星,連星等を広範に研究。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルツシュプルング」の意味・わかりやすい解説

ヘルツシュプルング

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世界大百科事典(旧版)内のヘルツシュプルングの言及

【ヘルツシュプルング=ラッセル図】より

…略してHR図ともいう。E.ヘルツシュプルングが1911年にプレヤデス,ヒヤデス両星団の星の色指数を横軸,見かけの等級を縦軸に示す図を作り,H.N.ラッセルが13年に当時ようやく得られた数十の星の視差に基づく絶対等級を縦軸にとる図を作った。これがこの図表の始まりで,2人の名にちなんで呼ばれるようになった。…

※「ヘルツシュプルング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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