ベーア(読み)べーあ(英語表記)Johann Beer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベーア」の意味・わかりやすい解説

ベーア(Karl Ernst von Baer)
べーあ
Karl Ernst von Baer
(1792―1876)

ドイツの比較解剖学者、動物発生学者。エストニア生まれ。ドルパト大学、ウュルツブルク大学に学び、のちケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)教授、ケーニヒスベルク動物博物館長を務めた。この間、哺乳(ほにゅう)動物の卵巣内のグラーフ濾胞(ろほう)内の卵や、脊椎(せきつい)動物の胚(はい)発生過程に現れる脊索の発見など、多くの重要な発見を行い、近代発生学の礎石を置いた。ベーアは胚発生の研究に比較解剖学的研究法を導入し、どの動物でも同種器官は同じ胚葉から生ずるという胚葉説を提唱し、動物発生の統一的理解への道を開いた。この立場からするベーアの動物発生の考え方は、次の「ベーアの法則」に集約されている。(1)発生の際まず一般的な形態が、ついで特殊な形態が生ずる。(2)発生の初期には、どの動物胚もよく似た形態をとるが、発生の進行とともに差が生じてくる。(3)高等な動物の発生中、胚は、それより下位の動物の胚に似た形をとる。

[竹内重夫]


ベーア(Johann Beer)
べーあ
Johann Beer
(1655―1700)

オーストリアの音楽家、作家。ザルツブルク東部郊外の旅館の息子として生まれる。北ドイツのザクセン選帝侯の分家、ワイセンフェルス家に楽長として仕えた。作家としては多くの筆名を用いた。短編『風癲(ふうてん)病院訪問記』(1681)はものぐさな小貴族が主人公の風刺ピカレスク(悪漢)小説、二大長編『冬夜清話』(1682)、『夏日快譚(かいたん)』(1683)は若い宮廷人たちのたどる壮大なアバンチュールの世界を描き、作者語り口に、もはやピカレスク小説の先人グリンメルスハウゼンの苦みはみられない。

[村田宇兵衛]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベーア」の意味・わかりやすい解説

ベーア
Baer, Karl Ernst von

[生]1792.2.29. ピープ
[没]1876.11.28. ドルパト
エストニア生れのドイツの動物学者。近代動物発生学の建設者の一人。ドルパト大学で医学を修めた (1814) のち,ドイツ,オーストリアに留学 (14~17) 。ウュルツブルク大学で比較解剖学を学んだのが動機となって,発生学に向う。 1817年よりケーニヒスベルク大学で教え,19~34年の間,発生学で多くの重要な業績を上げた。 27年すべての動物が卵より発生することを明らかにしたほか,28年に,C.パンダーが提示した (17) 説を発展させて胚葉説を立てた。完成された形で胚葉説の提示が行われたのは『動物の発生史について』 Über Entwickelungsgeschichte der Thiere (2巻,28,37) においてであるが,同書では発生原則も論じられている。 34年,ドイツを去ってペテルブルグに移り,ロシア科学アカデミー正会員となったが,このときに発生学もやめ,以後,地理学,人類学,民族学の調査,研究に従う。ロシア地理学会,ロシア昆虫学会,ドイツ人類学会の設立に貢献。 67年引退してエストニアに戻る。なお,彼は,C.ダーウィンとは独立に進化の概念に到達し,類似した動物同士は共通の祖先をもつと考えていた。しかし,全生物を単一の祖先に由来するものとみるダーウィンの学説には強硬に反対した。

ベーア
Bähr(Beer, Behr), Georg

[生]1666.3.15. フュルステンワルト
[没]1738.3.16. ドレスデン
ドイツの建築家。主としてドレスデンで活躍し,1705年から市の主任建築家をつとめる。イタリアの後期バロック建築の影響を受け,感覚的効果をねらった過剰なまでの装飾を特徴とし,キリスト教聖堂建築の発展に大きく寄与した。作品はフラウエン聖堂 (1726~43,ドレスデン,第2次世界大戦で破壊) など。

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