ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペタル1世」の意味・わかりやすい解説
ペタル1世
ペタルいっせい
Petar I
[没]1921.8.16. ベオグラード近郊
セルビア王国国王(在位 1903~21),およびセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国国王(在位 1918~21)。カラジョルジェビッチ家のセルビア公アレクサンダル1世の子。1858年にオブレノビッチ家により父公が退位を強いられたのち,45年間亡命生活を送る。1868年ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』の翻訳で自由主義者としての名声を獲得。フランスの陸軍学校に学び,普仏戦争(1870~71)に従軍。ボスニア・ヘルツェゴビナの対オスマン帝国反乱(1875~77)に義勇軍を組織した。1883年モンテネグロのニコラ1世の王女と結婚。1903年オブレノビッチ家のアレクサンダル・オブレノビッチ5世が暗殺されたあと迎えられてセルビア最初の立憲君主となった。内政の安定化と国際的地位の改善に功績を上げた。健康悪化のため 1914年王子アレクサンダルを摂政に任命。第1次世界大戦中は三国協商側に立ち,ケルキラ島に逃れてオーストリアと戦い,戦後セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の初代国王に選ばれた。
ペタル1世
ペタルいっせい
Petar I Petrović-Njegoš
[没]1830.10.30. ツェティニェ
ニェゴシュ朝のモンテネグロ君主 (在位 1782~1830) 。サワの甥。 1762~66年ロシアに留学。 66年正教会管区長,82年府主教 (→ブラディカ ) に就任。主教君主制の伝統に従い,君主を兼ねる。トルコと戦い,領土を拡張,99年独立を達成した。部族割拠主義の撲滅,国家権力の強化に努め,98年モンテネグロ最初の法典を編纂。第1次セルビア反乱 (04~13) に際し,カラジョルジェ・ペトロビッチを支持。露土戦争,ナポレオン戦争においてロシアを支援した。死後「聖大侯」の称号を与えられた。
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