19世紀イギリスにおける最大の思想家ジョン・スチュアート・ミルと、出版の前年に急死した妻ハリエットとの共著。1859年刊。自由に関する思想を集大成するとともに、19世紀中葉の自由をめぐる問題点について論じた古典的名著。全体で5章からなる。
第1章「序論」では、古くからある「自由」と「権力」の対立の問題が、いまでは個人と多数者の争いという問題を含むに至ったことを指摘し、個人はその自由を確保するためには「多数者の専制」(官憲による圧制だけでなく社会にある意見や専制も含まれる)に服する必要はないと述べている。そしてこの自由の領域としては、(1)良心・思想・感情の自由、(2)各人の好みにあうようにそれぞれの生活方式を組み立てる自由、(3)団結の自由、をあげている。(3)の団結の自由は、後の労働者の団結権に道を開く新しい考え方としてきわめて重要である。
第2章では、「思想と討論の自由」が真理の発見のために絶対に必要であり、それを抑圧するのは刑罰によるものであれ世論によるものであれ誤りであると述べている。
第3章の「福祉の諸要素の一つとしての個性について」では、行動の自由、生活の自由を論じており、それらが習慣や伝統に支配されると個人や社会の進歩が停滞すると述べている。
第4章「個人に対する社会の権威の限界について」では、個人は社会生活をしている以上、相互の利益を侵してはならないと述べている。
第5章「応用」では、以上の諸原理を実際問題について応用しており、とくに人間形成の重要な手段である教育や、政府の干渉の限界について述べている。
日本では「明六社(めいろくしゃ)」同人であった中村正直(まさなお)(敬宇)が1872年(明治5)に『自由之理』という題名で邦訳したのが最初であり、当時の自由民権運動に大きな影響を与えたといわれている。
[田中 浩]
『塩尻公明・木村健康訳『自由論』(岩波文庫)』▽『早坂忠訳「自由論」(『世界の名著38』所収・1967・中央公論社)』
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…14歳以後は一人立ちで勉強したが,幼年期からの教育によって一種の純粋培養的な学者となったといえる。一生の間に《論理学体系》(1843),《経済学原理》(1848),《自由論》(1854年に書かれ59年出版),《功利主義論》(1861年に雑誌に発表,63年単行本),《女性の隷従》(1869),遺稿の《社会主義論》(1879)その他多くを著したが,それらはすべて自分の見聞に照らして,より正確に真理を究め世に問おうとする誠実な努力の結果であった。彼ほど世俗の利害や党派的な感情に惑わされない人物はまれであったといえよう。…
※「自由論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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