ホジキン(読み)ほじきん(英語表記)Dorothy Mary Crowfoot Hodgkin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホジキン」の意味・わかりやすい解説

ホジキン(Alan Lloyd Hodgkin)
ほじきん
Alan Lloyd Hodgkin
(1914―1998)

イギリスの神経生理学者。バンベリーに生まれ、ケンブリッジトリニティ・カレッジに学ぶ。在学中から神経生理学の実験に親しんだ。卒業(1936)後、ロックフェラー研究所流動研究員として1年間滞米。第二次世界大戦中レーダーの研究を担当。1945年ケンブリッジに復帰し神経生理学の研究を再開した。1970年以降ケンブリッジ大学教授。1963年、「神経線維の電気的活動にかかわるイオン機構の発見」によって、共同研究者A・F・ハクスリーおよび同様の研究をしていたエックルズとともにノーベル医学生理学賞を受けた。

 ホジキンらは、イカの巨大軸索にガラス管微小電極を挿入して細胞膜内外の電位差を測定したが、インパルスによる活動電位の動きは、ベルンシュタイン以来の定説に変更を迫るものであった。彼らは神経線維の興奮に伴うイオンの移動を研究し、細胞膜のイオン(とくにナトリウム透過性の変化を中心とする新説を提出、その数式的な解析も、以後の研究で高い予測性が実証された。

梶田 昭]


ホジキン(Dorothy Mary Crowfoot Hodgkin)
ほじきん
Dorothy Mary Crowfoot Hodgkin
(1910―1994)

イギリスの結晶学者。カイロで生まれる。オックスフォード大学卒業。ケンブリッジ大学でX線結晶学を学び、生理学者A・L・ホジキンのいとこで歴史学者のホジキンThomas Lionel Hodgkin(1910―1982)と結婚する。1947年、女性として初めて王立協会会員に選ばれる。1960年、オックスフォードのソマービル・カレッジ教授。1934年、J・D・バナールとともにX線結晶学の手法を初めてタンパク質に適用し、複雑な生体物質構造を研究する道を開いた。1947年ペニシリンの構造を解明し、ついでビタミンB12の最初のX線回折像を得、10年間にわたる研究の結果その複雑な構造を究めた。1945年にはヨウ化コレステロールの結晶学的解析に成功、1973年ホルモンとしては最初のインスリンの構造を決定した。これらの業績により1964年ノーベル化学賞を受賞した。

[石館三枝子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホジキン」の意味・わかりやすい解説

ホジキン
Hodgkin, Sir Alan Lloyd

[生]1914.2.5. オックスフォードシャー,バンベリー
[没]1998.12.20. ケンブリッジ
イギリスの生理学者。ケンブリッジ大学卒業後,1939~45年,航空省でレーダの研究に従事し,45~52年,母校で講義のかたわら研究を続け,48年にロイヤル・ソサエティ会員,52年に同教授。イカの神経線維に微小電極を取付けて,神経末端に興奮が起り,その興奮が次々に波のように伝導する過程を電気生理学的に研究し,神経線維の膜表面の外側のナトリウムと内部のカリウムとの間のイオン交流説を提唱した。この神経伝導の研究により A.ハクスリーおよび J.エクルズとともに 63年のノーベル生理学・医学賞を受けた。

ホジキン
Hodgkin, Dorothy Mary Crowfoot

[生]1910.5.12. カイロ
[没]1994.7.29. イギリス,ウォリックシャー
イギリスの化学者。オックスフォード大学卒業。ケンブリッジ大学で複雑な高分子化合物のX線研究に取組み (1929) ,オックスフォード大学の講師 (34) 。 1942~49年ペニシリンの三次元構造分析。 47年女性として初めてロイヤル・ソサエティ会員となる。 48年,ビタミン B12 のX線写真撮影に初めて成功し,その後,X線回折を手掛りにその原子配置を完全に決定,構造を明らかにした。それらの業績により 64年ノーベル化学賞を受賞,65年にはメリット勲位を受けた。その後も研究を続け,インスリンの構造を完全に決定した (73) 。

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