日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルテの手記」の意味・わかりやすい解説
マルテの手記
まるてのしゅき
Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge
ドイツの詩人リルケの小説。1910年刊。デンマーク貴族の末裔(まつえい)である孤児マルテが詩人になろうとパリに出て、孤立した生活のなかで綴(つづ)る手記の体裁をとる。一貫した筋はなく、観察・省察・記憶に基づく散文詩にも似た断片がいくつかのテーマをめぐって積み重ねられる。第一部にはリルケ自身のパリ体験が強く反映し、大都市の現実にさらされる人間の孤独で不安な生のあり方や死への恐怖が、幼少年期の不安で不可思議な生の体験と織り合わされており、現象世界の皮相をはぎ取るまなざしが追い求められる。第二部では、加えて歴史・伝説上の人物が喚(よ)び起こされ、なかでも、相手を所有することのない愛に生きて偉大になった女性が称揚される。結末では、聖書の「放蕩(ほうとう)息子」が「愛されるのを拒んだ者」と解釈され、生と愛のあり方を変えることが暗示されるが、マルテの運命はさだかならぬまま手記は終わる。即物的で硬質な文章による断章をもってモチーフを音楽的に絡み合わせることにより、統一的な像を失い解体してゆく現実の奥に別の現実を求め、世界像の改変可能性を示唆するこの小説は、19世紀リアリズムの方法を脱し、新たな現実性(リアリテイー)を求める20世紀小説の先駆けをなすものである。
[檜山哲彦]
『望月市恵訳『マルテの手記』(岩波文庫)』