和歌山県中部、日高(ひだか)郡にある町。2004年(平成16)日高郡の南部町(みなべちょう)と南部川村(みなべがわむら)が合併して成立。町域は、太平洋に面する南部川河口から中・上流域にかけて広がり、JR紀勢本線(きのくに線)、国道42号、424号が通じ、阪和(はんな)自動車道のみなべインターチェンジがある。
南部川沿岸では、河口近くの徳蔵地区遺跡(とくぞうちくいせき)から縄文時代中期や弥生(やよい)時代、古墳時代の集落跡が検出された。西本庄では複数の銅鐸が出土している。中世は高野山(こうやさん)領南部荘(みなべのしょう)などに含まれる。徳蔵地区遺跡から条理型地割も検出された。海岸沿いに熊野街道(熊野古道)が通り、熊野九十九王子の岩代(いわしろ)王子、千里(せんり)王子、三鍋(みなべ)王子が祀られた。南北朝期には東本庄の津殿(つどの)に野辺氏、西岩代の市谷山(いちがたにやま)に岩代氏が拠り、室町期には西本庄の平須山(へいすやま)に野辺氏の後裔が拠った。
江戸時代に栽培が始まったウメは全国一の生産量と高品質で知られ、「南高梅」と称する。役場には「うめ課」が設置され、「うめ21研究センター」などがある。産業はウメ栽培のほかウメの加工品、ウバメガシを原料とした紀州備長炭(びんちょうたん)の生産、サバ・イワシなど沿岸漁業も盛ん。千里の浜(千里ヶ浜)は吉野熊野国立公園に含まれる景勝地で、アカウミガメの産卵地として県の名勝・天然記念物に指定されている。梅の開花期には南部梅林、岩代大梅林に多数の観光客が訪れる。面積120.28平方キロメートル、人口1万1818(2020)。
[編集部]
和歌山県中央西部,日高郡の町。2004年10月旧南部(みなべ)町と南部川(みなべがわ)村とが合体して成立した。人口1万3470(2010)。
みなべ町南西部の旧町。日高郡所属。人口8108(2000)。太平洋に注ぐ南部川の河口部に位置し,流域に平地が広がる。西部海岸沿いの岩代(いわしろ)は,謀反の罪で捕らえられた有間皇子が〈磐代(いわしろ)の浜松が枝を引き結び……〉(《万葉集》巻二)と詠んだ地で,そのゆかりの〈結び松〉が植えつがれている。南部川下流域一帯には平安末期から中世にかけて南部荘があった。海岸沿いを熊野街道(現,国道42号線)が通じ,東岩代川河口から目津崎までの千里浜は《枕草子》などにも記され,古くから景勝地として知られた。アジ,イワシなどの沿岸漁業も行われるが,北に接する旧南部川村にかけて南部川段丘の南部梅林での梅の産が多く,梅酒用青梅や梅干しが全国に出荷される。海岸部は田辺南部海岸県立自然公園に含まれ,千里浜はアオウミガメの産卵地としても著名。国道に並行してJR紀勢本線が走り,阪和自動車道のインターチェンジもある。
みなべ町中北部の旧村。日高郡所属。人口6626(2000)。村域の東端,西牟婁(にしむろ)郡との境にある虎ヶ峰(790m)に源を発する南部川が,多数の支流を合わせつつ中央部を南西流し,周囲を山地や丘陵に囲まれる。南隣の旧南部町域にかけては,平安末期から中世には南部荘の地であった。農林業が中心で,とくに南部川沿いの段丘にある南部梅林での梅の生産は,旧南部町とともに全国一といわれる。江戸末期には埴田(はねた)(旧南部町)が第1の産地として知られたが,やがて当地の晩稲(おしね),谷口,熊岡(くまか)などが中心となった。約30万本が栽培されており,青梅,また梅干しとして出荷されるほか,開花期には観梅の人々でにぎわい,晩稲の香雲丘(こううんきゆう)からの眺めは〈一目千本〉といわれる。
執筆者:上田 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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