日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムガル絵画」の意味・わかりやすい解説
ムガル絵画
むがるかいが
インドのムガル帝国(1526~1858)の宮廷(初めアグラ、のちデリーに都を置く)で行われた絵画。ムガル朝の美術はインド・イスラム建築にその特色を発揮し、白大理石を用いた墓廟(ぼびょう)などの建造物がつくられたが、絵画でもイランの細密画の影響を受けて、独自の細密画を発展させた。同時期に北西インドで行われた宗教的・観念的なラージプート絵画に比べて、世俗的・現実的な主題をもち、手法も写実的である。
ムガル細密画の様式が明確となるのはアクバル帝(在位1556~1605)の時代で、イラン系の画家にかわってインド人画家が指導的地位につき、その表現も装飾的なものから透視図法を用いた写実的なものとなり、これにはキリスト教宣教師団などによってもたらされた西洋絵画の影響も指摘されている。次のジャハーンギール帝(在位1605~27)の時代が最盛期で、肖像画を筆頭に花鳥画、風景画が盛んに描かれた。肖像画はつねに側面向きに描かれ、とくに顔貌(がんぼう)は精密に描写されている。また、単独の人物像のほか、記録的要素の強い群像の肖像画も好んで描かれた。その後、アウランゼーブ帝(在位1658~1707)のころになると表現も類型化し、ヨーロッパの影響で写実面が追求されたが、前代までの清新さを失い、急速に衰えていった。
[永井信一]