フランスの化学者。初めは薬剤師の徒弟として、ついで自然史博物館のフレミEdmond Frémy(1814―1894)などから学び、苦学してバカロレア(中等教育終了資格・大学入学資格)を取得、1879年にパリの薬学専門学校で薬学士、翌1880年にパリ大学で博士の学位を受ける。無機化学を研究し、1882年に結婚してからは義父の財政的援助で研究に専念できるようになり、同年薬学専門学校の教授資格を取得した。1884年からフッ素化合物を研究、1886年にフッ素の単離に成功した。同年に薬学専門学校の毒物学教授に任命され、1899年に同校の無機化学教授、1900年にパリ大学の教授となる。また、人造ダイヤモンドの製造を試み、そのための実験用電気炉をくふうし、高温化学の創始者となった。1894年にカルシウム・カーバイドの製造法を発見し、これからほぼ純粋なアセチレンが発生することを報告した。1906年ノーベル化学賞を受け、遺産によりモアッサン化学賞、妻の名をつけたルガン化学賞が設置された。
[加藤邦興]
フランスの化学者.パリで2年間の薬局徒弟修行をしたのち,自然史博物館の研究室の雇いになり,植物生理学の研究見習いとして働く.正規の教育の必要を感じて,苦学してバカロレア(大学入学資格,1874年),学士号(1879年)などを取得し,1880年にはパリの理学校から無機化学研究で博士号を取得.1886年薬学校の毒物学教授に任命され,1899年同校の無機化学教授,1900年理学校無機化学教授になった.1884年からフッ素の研究をはじめ,1886年フッ化カリウムを無水のフッ化水素に溶かして得た溶液の電気分解から,はじめてフッ素の単離に成功した.その後もフッ素の研究を続け,多数の新種のフッ化化合物を得ることに成功した.人工ダイヤモンド製造を試み,独自の電気炉を開発し,高温化学の創始者となった.こうした業績により,1906年ノーベル化学賞を受賞したが,授賞式から帰ってまもなく急死した.このときの対立候補はD.I. Mendeleev(メンデレーエフ)であったことが知られている.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
フランスの化学者。自然史博物館のフレミーE.Frémy(1814-94)の実験室で学んだのち,エコール・ポリテクニクに入った。1880年にはシアンに関する論文で学位を取得し,86年には毒物学の教授となり,1900年にはパリ大学の無機化学の教授として,トルーストL.Troost(1825-1911)の後を継いだ。1886年に電気分解によって初めてフッ素の単離に成功した。92年には人工ダイヤモンドの作成を試み,このために電気炉を改良した。97年に《電気炉》を出版し,その後の高熱化学の基礎を築くとともに,カーバイド工業の理論的基礎づけを行った。1906年には,これらの業績に対してノーベル化学賞が授与された。
執筆者:河村 豊
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