改訂新版 世界大百科事典 「国際通貨制度」の意味・わかりやすい解説
国際通貨制度 (こくさいつうかせいど)
international monetary system
国際通貨制度というとき,多くの人はその代表的なものとして国際金本位制度をあげる。それは現在の国際通貨制度の源流を求めていくとき国際金本位制に到達するからである。1944年7月アメリカのブレトン・ウッズに44ヵ国の代表が集まり,第2次大戦後の国際通貨制度の確立をめざして,いわゆるブレトン・ウッズ協定(ブレトン・ウッズ体制)に調印したが,その協定が示す国際通貨制度は金本位制の一種である金為替本位制であった。戦後の国際通貨制度の根幹となっている国際通貨基金(IMF)はこの協定にもとづき,47年3月に発足した。
ケインズ案とホワイト案
ブレトン・ウッズ協定の成立に先だって,イギリスのケインズ案とアメリカのホワイト案という二つの対立する案が両国の間で討議された。前者は,国際取引によって生じる債権債務の最終決済を通貨当局間の帳簿上のつけ替えによって行う清算同盟方式を主張していた。後者は,国際取引の決済はすべて外国為替市場を通して行われ,通貨当局は市場における決済手段の過不足を調整するという市場方式を主張していた。したがってケインズ案では,中心となる国際機関は,各国の中央銀行の中央銀行,つまり世界中央銀行としての機能をもち,国際通貨(J.M.ケインズはそれをバンコールbancorと名づけた)を創出し発行する。しかしホワイト(財務省通貨研究部長)案では,その国際機関は,そのとき為替相場のもとで決済手段の不足に直面した国の通貨当局に対し,各国から拠出された金や各国通貨を短期間貸し付けるにとどまる。いいかえると,その国際機関は国際的な為替安定基金としての機能をもつ。国際通貨基金はこのホワイト案にきわめて近いものであった。
固定相場制の採用
第2次大戦後のこの国際通貨制度の最も重要な点は,固定為替相場制を採用していることである。IMF加盟国は,その固定為替相場の安定をはかり,競争的切下げを行ってはならない。また,外国為替手形の取引を制限する為替管理を原則として行ってはならない。したがって,たとえば国際収支の赤字のために外国為替市場において需要超過が生じたときには,当該国の通貨当局はその保有している外国通貨を市場に放出し,逆に国際収支が黒字となり,外国為替手形の供給超過が生じたときには,それを市場から買いあげることになる。いいかえると,外貨準備の増減を通して,その国の外国為替相場の安定を維持するのが原則である。
外貨準備が一方的に減少するとき,それを避けるには,国内の輸入需要を抑制し,輸出を増加させなければならず,それには景気抑制のための財政金融の引締めが必要となる。もちろん,外貨準備の減少が続くときに為替相場を切り下げるならば,輸出は増大し輸入は減少するから事態を改善できるかもしれない。しかし,そうした目的のための為替操作は原則としては認められていない。それは両大戦間においてみられたような為替切下げ競争を再現させないためである。しかし場合によっては,財政金融の引締政策をとっても国際収支の改善が難しい場合がでてくる。加盟国の基礎的経済条件(ファンダメンタルズfundamentals)の相対的な弱体化のために,現行の為替相場では国際収支の赤字を解消できなくなったとき,IMFはそれを基礎的不均衡とみなし,為替相場の調整的切下げを認めることになっていた。この固定為替相場制が調整可能な釘付けadjustable pegと呼ばれたのは,そのためである。
金為替本位制
この国際通貨制度はもう一つの重要な取決めをもっていた。そこでは各国通貨の為替相場は,一定量の金またはそれと同等の価値をもつドルに対して固定されている。すなわちドルは金1オンス=35ドルの交換比率(法定平価)で金に結びつけられ,ドル以外の各国通貨は一定の交換比率(IMF平価)でドルに結びつけられている。加盟国は,このIMF平価の上下1%の範囲内に,自国通貨の対ドル為替相場を維持しなければならない。法定平価で金との交換を保証されている金為替ドルを基軸として,加盟国通貨の固定為替相場の国際的体系ができあがる。この国際通貨制度が金為替本位制といわれる理由である。
国際流動性とドル不安
基軸通貨としてドルが用いられたのは,戦後,金との交換性を保証できるだけの金を保有していたのはアメリカだけであったこと,また,アメリカは圧倒的に強い経済力をもっており,ほとんどすべての国が国際取引の決済にドルを用いていたという事実にもとづいている。アメリカ以外の国は,その輸入などの代金支払のためドルを獲得しなければならない。各国における外貨準備の増減とは事実上,ドル為替手形の純受取りの増減のことであり,基軸通貨のドルはアメリカの国内通貨であると同時に国際通貨である。国際経済規模が拡大し,貿易が増大するにつれて,国際通貨(より一般的には国際流動性)の必要量は増大する。この増大する必要量を満たすためには,アメリカは,援助,貸付け,輸入超過などによって国際収支を赤字にし,ドルを国外へ流出させる必要がある。その赤字幅が適切ならば,国際流動性の供給も適切な額となる。しかし,アメリカの国際収支の動きや財政金融政策の中身は,国内経済の必要に応じて決まってくるものであり,けっして国際的必要に応じて決められるものではない。もしアメリカが節度のある巧みな経済運営を行うならば,国際収支は均衡し,ドルのアメリカからの流出はゼロとなる。それでは国際経済は国際流動性の不足,つまりドル不足となる。これは〈国際流動性ジレンマ〉と呼ばれている。ある特定国の通貨が国際通貨となる金為替本位制の場合,これを避けることはできない。
それでは適度な国際流動性の供給とはどういうものか。はっきりいえることは,世界的なインフレーションがおこらず,増加する国際取引の決済が円滑に行われ,固定為替相場の維持がおびやかされず,ドルに対する国際的信認が保持されているならば,そのときの国際流動性の供給は適度である。このなかで金為替本位制の視点からみて不可欠な条件は,ドルに対する信認の維持である。ドルに対する信認の維持とは,1オンス=35ドルの公定価格でドルと金との交換性を保証することである。アメリカの国際収支の赤字が過大であれば,ドルが海外へ過大に流出する。アメリカの保有する貨幣用金の保有額が海外諸国のもつドル総額よりも少なければ,金との交換性は保証できなくなる。そのとき,ドルを保有することは金を保有することと同じではなくなるからである。各国中央銀行が資産価値を守るためにドルの金兌換(だかん)をアメリカに求めるならば,アメリカの金保有は減少し,ドルに対する信認はゆらいでしまう。1950年代末から始まったドル不安は,アメリカの金準備の減少とドル流出の増大の結果である。
通貨混乱とSDR
各国にとって,その国際収支の赤字累積はその国の固定相場の維持を困難にする。ドル獲得のためその国の通貨を為替市場で売却するからである。また黒字累積のときには,逆に自国通貨に替えるためドルが為替市場で売却されるから,やはり固定相場の維持は難しい。60年代にはいると,ポンド,フラン,マルクなどのヨーロッパ通貨は,それぞれの国際収支の不均衡の累積を反映して,激しく売買された。60年代後半にはいると,通貨混乱は激しくなり,ポンドやフランなどは切り下げられ,マルクなどは切り上げられた。他方,ドル不安のもとで自由金市場の金需要は増大した。欧米7ヵ国は金プールをつくり,金の市場価格が公定価格(法定平価)から離脱しないよう,市場へ介入した。67年ポンドが切り下げられると,金需要が急増した。ついに金価格抑制は不可能となり,金プールは解体し,市場価格と公定価格の二重価格制をとることになった。67年のIMF総会は,ドルにかわるべき新たな国際的な準備資産としてSDRの創出を決定したが,それはドル金為替本位制の弱点を補強するためであった。しかし,この〈IMF発行〉の〈国際通貨SDR〉は,ただちにドルと交代する力と信認をもたなかった。
変動相場制
国際通貨の混乱は70年代にはいっても続いた。71年夏,アメリカ政府は,ドル防衛のための新政策を発表し,ついにドルの金交換性を停止した。いわゆるニクソン・ショックである。同年末先進諸国代表は,ワシントンに集まり,スミソニアン博物館で為替相場の一斉調整を含む〈スミソニアン合意〉を成立させた。それにより金に対してドルは切り下げられ,1オンス=38ドルとなったが,ドルの金交換性を停止した以上,その実質的意味はなかった。国際通貨制度の視点から重大なことは,この金交換性の停止によって,事実上ドルは金為替であることをやめ,金為替本位制の機能は事実上停止したということである。
しかし,その後も通貨不安はおさまらず,73年にはいると,為替市場の閉鎖やドルの10%切下げなどが相次ぎ,3月には先進国の多くは固定相場を放棄し,為替相場を市場の動きにまかせること(フローティングfloating)になった。2ヵ月ほどの間に,主要国は,なし崩しに変動為替相場制へ移行したのである。その年の11月,金の二重価格制は廃止され,金の法定平価は消滅することになった。こうして,1944年以来のドル金為替本位制を中核とした国際通貨制度は,変動相場制を中核とした国際通貨制度へ切りかわった。
IMF協定第2次改正案
これに先だって,動揺を続ける国際通貨制度の改革問題がとりあげられ,72年のIMF総会で,そのための20ヵ国委員会が設置された。74年6月に最終報告書が発表されたが,それは,SDRをドルに代わる中心的準備資産とし,その価値評価はバスケット方式によること(ドルは基軸通貨ではなく,他の通貨と同等となる),安定的で調整可能な為替制度の確立という目標はすてないが,当面,変動為替相場のガイドラインを設けること,などを内容としていた。しかし,73年末におこった石油危機によって国際収支の国際的不均衡は著しくなり,オイル・ダラーの還流問題とインフレーション激化は国際金融の最優先課題となった。
74年6月の国際通貨制度改革に関する最終報告書の発表とともに20ヵ国委員会は解散,同年9月のIMF総会で暫定委員会が設置され,その改革の諸問題をとり扱うことになった。翌75年11月,パリで第1回の先進国首脳会議(サミット)が開催され,通貨問題に関連して,中央銀行は為替レートの無秩序な動きを抑制するために市場に介入すべきである,と宣言された。翌年1月ジャマイカにおいて開催されたIMF暫定委員会では,さらに一歩を進め,当分の間,各国がどのような為替制度を選ぶかは自由であること,また国際通貨制度における金の役割をしだいに低下させること,そのためIMF保有金についてもそれを処分すること,またSDRの役割の強化をはかること,などが内容となっている(ジャマイカ合意)。なお,IMFの保有金の処分により得られた資金は信託基金の設立に充当され,先に設けられたオイル・ファシリティと同じく,石油赤字に悩む諸国,とくに発展途上国などへの資金貸付けを目的としていた。この案は,IMF理事会の検討をへてIMF協定の第2次改正案(第1次改正案はSDR創設)として発表された。そこにはもはや〈安定的で調整可能な為替制度の確立〉という表現は姿を消した。文字どおり,変動相場制は公式にその存続を確認されたのである。
現状と課題
こうして変動相場制を為替相場決定の中核とする国際通貨制度となったが,それは為替相場を外国為替市場の自由な競争的決定に完全に依存させる制度ではない。各国の通貨当局は,それぞれの為替相場の乱高下を避けるために,市場へ適時に介入することが当然とされている。この市場介入は平準化操作smoothing operationといわれるが,〈ファンダメンタルズ〉の変化にもとづく為替相場の変動は操作の対象ではない。この変動相場制は〈管理された変動相場制managed floating system〉と呼ばれている。しかし,現実における変動相場制は,はじめに予想されたようにはうまく機能しなかった。当然と思われていた経常収支の調整機能は,2年から3年もの長い調整期間を要することがわかった。さらに1973年と79年の石油危機をへて先進国間の不均衡も拡大し,為替相場の変動は激しくなった。各国はドル以外の他国通貨を準備資産へ繰り入れ,準備資産は多様化した。そのため,現在の国際通貨制度はしばしば錨(いかり)を失った船,あるいは海図のない航海にたとえられ,国際通貨制度の改革論議は為替安定にむけられた。アメリカと日本と西ドイツの3国がこの錨の役を果たすべきだという案もでてきた。これは3国間の為替相場を固く結びつけ,それらを基軸にして国際通貨体制を安定させるべきだという。その実現の可能性はともかく,複数基軸通貨制や為替相場の変動枠を設けようというターゲット・ゾーンの考えは根づよい。
為替相場の乱高下は一つには国際金融市場の連関が深まったことにも原因がある。金利の相対的変化に付随して短時間に各種の有価証券取引がおこり,大量の資本移動が生じるならば,為替相場は経常取引の動きと必ずしも関係をもたず,為替相場が激しく変動することになる。そうなると,現在の国際通貨制度のもとでは,為替相場の乱高下が避けられないことになる。また,石油危機後の発展途上国の債務累積もまた現在の国際通貨制度にとって厄介な問題であり,大幅な為替変動の原因の一つともみられている。いずれにしても,国際通貨制度の改革は容易でない。
執筆者:渡部 福太郎
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