改訂新版 世界大百科事典 「リス族」の意味・わかりやすい解説
リス(傈僳)族 (リスぞく)
Lì sù zú
中国西南部からミャンマー,タイにかけて分布する少数民族。主要な居住地は雲南省北西部のミャンマー国境近くで,ここには怒江リス族自治州が成立している。そのほか雲南省南西部ならびに同省北部から四川省にかけて分散し,他民族と雑居する。言語はチベット・ビルマ語派のロロ・ビルマ語群に属す。人口は中国内で約57万4600(1990),ミャンマーで約5万,タイで約2万5000(1988)と報告されている。彼らは一般に険しい山岳地帯に居住するが,その密集地である怒江(サルウィン川)流域の山地はとくに険しく,標高4000mにも達している。そして怒江および瀾滄江(メコン川)がこの地域を貫流し,大峡谷を形成している。
伝統的な生業は焼畑農業で,狩猟も重要な位置を占めていた。怒江地域でのおもな作物はトウモロコシで,ほかに水稲,小麦,ソバ,コーリャン,豆類等がある。史書や民間伝説によれば8世紀には,リス族は雲南から四川にかけて雅礱(がろう)江・金沙江沿岸に居住し,唐代にはイ(彝)族,ナシ(納西)族とともに〈烏蛮〉を形成した。そして元代には麗江路軍民総管府,明代には麗江ナシ族の土司木氏の統治を受けた。16世紀中ごろ,多数のリス族が木氏の圧迫をのがれ西方に移動し,怒江地区に入ったが,西方への大規模な移動は清朝統治下でも生じ,一部は南方の徳宏地区や臨滄,耿馬の地にまで進出した。かくしてその移動中,リス族の居住区域は不断に拡大,かつ多くの小集団に分かれて他族と交錯,雑居したが,同時に彼らは他民族の経済的文化的影響を受け,その結果,その社会的経済的発展は各地でさまざまな差異を生ずることになった。なお清代から20世紀初頭には,リス族あるいは他民族と連合した農民反乱がたびたび起こっている。
解放前,麗江,大理,保山等の地区では生産力は発展し漢民族の水準に接近していたが,怒江地区ではその水準は低く,焼畑耕作のほか,採集と狩猟が農閑期の副業として重要であった。竹や木の農具が使用される地域も少なくなく,手工業および商業はまだ農業から分離していなかった。物々交換を主とする市場が碧江や福貢などの地に出現していた程度である。社会組織の面では,共通の祖先を持つ血縁者の集団すなわち氏族が存在し,氏族はそれぞれ虎,熊,猿,蛇,羊,鶏,蜂,ソバ,竹,麻等10以上の名称を有していた。これらの氏族名称はトーテム崇拝の象徴と考えられる。しかし現実生活ではあまり機能をもたず,むしろ村落が重要な役割を果たしていた。村落には1人ないし2人の頭人がおり,紛糾を調停し,祭祀を主催し,械闘を指導するなどの権力を有していた。宗教は万物に霊があると信ずる原始宗教で,宗教行事の際には巫師を招き,動物を殺し,いけにえとして供えた。1950年,人民解放軍により解放が行われたが,4年後には碧江,福貢,貢山,瀘水の4県を包括する怒江リス族自治区が成立した。57年には蘭坪県を分割して編入し,自治区を自治州と改めた。以後今日にいたるまで,リス族の生活には著しい変化がみられる。
執筆者:加治 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報