1873年(明治6)末から78年にわたり、山形県庄内(しょうない)地方(当時酒田県)のほとんどの村々を巻き込んで起きた農民騒動。71年第二次酒田県が成立し、県官のすべてが旧庄内藩士族に占められた。翌年8月、政府は年貢米や雑税の石代納(こくだいのう)(金納)を全面的に許可したが、酒田県はこれを布達せず、農民に従来どおりの現物納を強制し、用達(ようたし)商人に換金させた。当時米価が高騰していたため多額の利益をあげ、県はそれを士族の授産事業である松ヶ岡開墾などに使ったという。73年末より農民は、石代納許可を願い出、さらに過納金返還、雑税廃止要求、役人の不正を追及し、県政に批判的な金井質直(ただなお)などの改良派士族や森藤右衛門(とうえもん)などの商人、地主が支援して独自の石代会社を設立し、金井県と称して酒田県と対抗しようとした。ところが74年9月、指導者100余人が捕縛され、その奪回を求めて農民は酒田襲撃を企てて蜂起(ほうき)した。数は万を超えたが、抜刀した開墾士族らによって鎮圧された。
その後、明治政府は酒田県令に三島通庸(みちつね)を任命した。農民側もまた戦術をかえ、森藤右衛門を中心に政府・元老院への建白書提出を繰り返し、さらに過納金返還など14か条の訴えをもって裁判闘争を展開し、78年児島惟謙(いけん)による判決で、農民側は6万3652円の還付金を獲得した。わっぱとは曲物(まげもの)でつくった弁当のことで、要求が通れば一人わっぱ一杯分の銭が戻るとされたことから、この名がつけられたという。
[堀 司朗]
『鶴岡市史編纂会編『ワッパ騒動史料』上下(『荘内史料集 17、18』1981・鶴岡市)』▽『『ワッパ事件』(『服部之総著作集 第五巻』所収・1955・理論社)』▽『佐藤誠朗著『ワッパ騒動と自由民権』(1981・校倉書房)』
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