屋外で食事をとる必要から携行する食物のこと。農・山・漁村や都市の諸技能者の間では,屋外の労働を目的としたとき,家に帰って食事をとれない場合に携行したが,その形態は地域ごとの食生活に応じて一様ではなかった。米飯,粟飯,稗飯,芋などが中心で,それによって容器も異なり,畑作地帯では稗や粟の飯を入れる網袋状の苞(つと)が多い。そのほか藺(い)やわらなどで編んだ苞のほか,柳や竹の皮で編んだ行李(こうり),杉や桜をへいで曲げたワッパ,メンパの類があった。これらの弁当の副食物にはみそ,漬物,梅干しがよく用いられた。箸はそのつど木の枝などを利用することが多かったが,使用後は必ず折って捨てる習慣があった。それはオオカミ,キツネ,タヌキや魔物のたぐいが,その箸をとおして使った人間へ災禍をもたらすという観念があったからである。旅行も弁当を必要とする機会であった。古代から中世にかけて,干飯(ほしいい)や握り飯を携行した記録があるが,旅は非日常的な行為であるために,つとめて米の飯が用いられたようである。また戦争も非日常的なできごとであり,心身を消耗する行為であったから,それを補強する意味で大量の米が消費された。握り飯はすでに平安時代の文献に見えているが,これが梅干しと結びついて弁当のひとつの型ができあがった。また,都市においては物見遊山や芝居などに行くとき弁当が携行され,いろいろのくふうをこらした幕の内弁当が発達した。芝居などの幕の引かれた間に食べることから幕の内と呼んだのがはじめで,現在の仕出し弁当の代表となった。1885年には駅弁が登場するようになった。弁当には地域ごとの日常食から,非日常の儀礼食の2系統があるが,都市において儀礼食が日常の弁当となるにつれ,その即席性と選択の多様性を商品化することによって,近代産業の重要なひとつの部分を占めるにいたっている。
執筆者:坪井 洋文
神沢杜口(かんざわとこう)の《翁草(おきなぐさ)》(1791)に,弁当箱は信長の安土時代にできたもので,〈小さき内に諸道具をさまると云,偽ならんとて信ぜぬ者も有しとぞ〉としている。諸道具の範囲がはっきりしないが,いろいろの器を納めたとすれば,食器や酒器までを組み込んだ提重(さげじゆう)の小型のようなものだったかもしれない。だいたい弁当という語が〈割りあてる〉の意であるから,古く野外の食事や贈物をする際に器物や食物を納めて運んだ行器(ほかい)などに由来すると思われ,《多聞院日記》天正19年(1591)10月26日条などにそうした用例が見られる。行器は円筒形の塗物で数人分のものを収容し,ふたと外へ反った3本の脚をつけたもので,外居とも書いた。個人用の弁当箱は,破子(破籠)(わりご)や曲物(まげもの)の面桶(めんつう)などから変化したもので,行器などが下僕に運ばせるものであったのに対し,みずから携帯するようになり,〈独弁(どくべん)〉と呼ばれた。西鶴の《武道伝来記》巻七の〈新田原藤太〉には,〈此二人は行灯の光りを受て独弁をひらき,小者に煎茶(せんじちや)などはこばせて〉といった文を見ることができる。なお,《東海道名所記》などに酒を入れて携帯したものらしい弁当樽(だる)の語がある。
執筆者:鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
携帯用の食事。古くは行厨(こうちゅう)という名称を用いていた。また、カシワ、ホオなどの大きな木の葉、あるいはササの葉、タケの皮などを弁当容器にしていたため、竹葉(ちくよう)を弁当の意に用いてもいる。ヒノキの薄板で箱をつくり、弁当箱とした歴史も古い。鷹狩(たかがり)は『日本書紀』によれば仁徳(にんとく)天皇の時代に渡来したというが、タカの餌料(じりょう)を入れる携帯用の餌袋(えぶくろ)を弁当入れに代用した歴史も古く、弁当の容器をそのまま餌袋といった時代もある。平安朝のころから屯食(とんじき)の名が用いられるが、屯食は兵食の意でもあった。兵卒が腰に下げていたので、腰兵糧(ひょうろう)の名前も使われていた。明治後期から大正にかけて薄給のサラリーマンを腰弁といったのは、当時腰に弁当をぶら下げて通勤する人がいたからである。腰に弁当をつり下げるのは、当時一般の風俗でもあった。
弁当ということばができたのは、織田信長が安土(あづち)城で大ぜいの人にめいめいに食事を与えるとき、食物を簡単な器に盛り込んで配ったが、そのとき配当を弁ずる意と当座を弁ずる意で、初めて弁当と名づけたという。江戸時代の『和訓栞(わくんのしおり)』に「べんとう 弁当と書けり、行厨をいうなり、昔はなし、信長公安土に来て初めて視(み)たるとぞ」とある。弁当の語源説はもう一つある。めいめいの食器面桶(めんつう)が「めんとう」となり、さらに「べんとう」と転じたというのである。江戸時代になり弁当は大いに発達し、容器もいろいろくふうされてきた。提重(さげじゅう)というような豪華なものもできたが、一般には漆器、陶器、木箱などの弁当容器が使われた。握り飯を木の葉、タケの皮などに包む簡素な方法も用いられていた。これら旅行用、外出用、行楽用のほかに、江戸後期には観劇用の弁当も開発された。日本橋芳(よし)町の萬久という店の観劇用弁当は、幕の内弁当といった。幕の内とは当時芝居の楽屋をいい、その弁当の煮しめをさしたのだが、昭和初期から幕の内の名は俵形の関西風の握り飯にゴマを振りかけたものの意として用いられた。これが駅弁に取り入れられて、幕の内弁当の名で一般化した。明治後期に洋風材料を加えたものを合の子弁当といったが、いまは中華弁当、洋食弁当、すき焼き弁当、とんかつ弁当など種類も多く、容器も多様化してプラスチック製のものが増えてきた。
[多田鉄之助]
弁当は限られた枠内に数種のものを詰め合わせるため、皿や鉢に盛り分ける日常の料理とは違った注意が必要である。調理面では、汁気が出ないこと、冷めたり時間がたっても味や色に変化の少ないこと、いたみやすいものを入れないこと、加熱するものは十分に火を通すことなどである。においの強いものも、弁当箱の中ににおいが充満し、蓋(ふた)をとったとき、におったり、他の料理ににおいが移るので避けたほうがよい。また、ご飯は熱いまま蓋をすると蒸れていたむ原因になるので、十分冷ましてからにする。
栄養面では、弁当は1日3食の1食分にあたるので、1日所要量の3分の1はとれるようにする。とくにたいせつなのはタンパク質で、栄養のバランス上野菜も欠かせないものである。副菜は、一品で栄養を満たすのはむずかしいので数種は取り合わせるようにする。そして、栄養のバランス上からも見た目のおいしさからも、彩りよくすることがたいせつである。また、弁当は保存上から濃厚な味つけになりやすいが、健康上、あまり塩辛い味は避けるようにする。
[河野友美]
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
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