アイヒマン(英語表記)Eichmann, Karl Adolf

デジタル大辞泉 「アイヒマン」の意味・読み・例文・類語

アイヒマン(Karl Adolf Eichmann)

[1906~1962]ドイツナチス親衛隊中佐。第二次大戦中のユダヤ人大量虐殺の責任者。大戦後アルゼンチンへ逃亡したが、イスラエル秘密警察誘拐逮捕され、エルサレム裁判ののち処刑された。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

共同通信ニュース用語解説 「アイヒマン」の解説

アイヒマン

アドルフ・アイヒマン ナチス・ドイツの親衛隊中佐。ユダヤ人の強制収容所移送に中心的役割を果たし、ホロコースト(大量虐殺)を推し進めた。第2次大戦後、南米アルゼンチンに逃れたが、イスラエルの特務機関モサドが居場所を突き止め、同国連行。世界が注目する裁判の結果人道に対する罪などで死刑を言い渡され、1962年に絞首刑となった。

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイヒマン」の意味・わかりやすい解説

アイヒマン
Eichmann, Karl Adolf

[生]1906.3.19. ゾーリンゲン
[没]1962.5.31. イスラエル,テルアビブヤフォ
ナチス幹部。ユダヤ人集団殺害 (→ホロコースト ) の責任者の一人。 1932年ナチス党員となり,のちに親衛隊の幹部に昇進。 1942年以降はアドルフ・ヒトラーのユダヤ人撲滅作戦の責任者の一人。第2次世界大戦後,アメリカ軍に逮捕されたが,1946年脱走。 1958年逃亡の末,アルゼンチンに落ち着いた。 1960年5月 11日イスラエルの特務機関により逮捕され,イスラエルに連行。 1961年 12月絞首刑の判決を受け,1962年5月最高裁判所への上告却下,刑が執行された。罪状は,ユダヤ人に対する罪,人道に対する罪,戦争に対する罪であった。一方,アイヒマンは,自分は祖国の法と旗,戦争の法則に従っただけであることを理由に最後まで無罪を主張した。アルゼンチン政府は,イスラエル政府がアルゼンチン国内で行なった不法行為について,厳重な抗議を行なった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「アイヒマン」の意味・わかりやすい解説

アイヒマン
Karl Adolf Eichmann
生没年:1906-62

ナチス・ドイツ(第三帝国)において〈ユダヤ人問題〉解決の実行責任者となった親衛隊将校。1932年,オーストリア・ナチ党入党,ユダヤ人問題科学博物館長を経て,帝国保安本部秘密国家警察局でユダヤ人強制移住問題を担当,やがてワンゼー会議Wannseekonferenz(1942年1月)にも出席し,いわゆるユダヤ人問題の〈最終的解決〉(絶滅プラン)にも関係する。第2次大戦後アルゼンチンに潜伏しているのをイスラエル特務機関によって発見され,エルサレムでの裁判の結果,絞首刑。H.アレントの報告《イェルサレムのアイヒマン》(1963)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「アイヒマン」の意味・わかりやすい解説

アイヒマン

ナチス・ドイツの親衛隊将校。1932年ナチス入党,第2次大戦中に保安本部秘密国家警察局でユダヤ人絶滅計画の実行責任者となる。戦後アルゼンチンに潜伏したが,1960年イスラエル特務機関に発見され,エルサレムでの裁判により,数百万人に及ぶユダヤ人虐殺の罪で絞首刑。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アイヒマン」の解説

アイヒマン
Adolf Eichmann

1906~62

ナチス・ドイツの親衛隊中佐。ゲシュタポ(国家秘密警察)のユダヤ課長として第二次世界大戦中600万人のユダヤ人を虐殺したかどでイスラエル政府に追及され,1960年アルゼンチンで逮捕,イスラエルの特別法廷で死刑に処せられた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android