アエティウス(その他表記)Flavius Aetius

改訂新版 世界大百科事典 「アエティウス」の意味・わかりやすい解説

アエティウス
Flavius Aetius
生没年:391ころ-454

ローマ帝政末期の将軍。高位の軍人を父とし,少年期から青年期にかけてを人質として西ゴートとフンのもとで過ごした。ホノリウス帝の死後奪帝ヨハンネスを支持したが,425年フンの援軍を背景に帝室から恩赦ガリアでの軍指揮権を得て,西ゴートやフランクを破った。その後,人質時代に培ったフンとの友誼を利用して西ローマ政府の実権を掌握し,皇族以外では破格の名誉である3度のコンスル職(432,437,446)のほか,433または434年にはパトリキウス称号と全軍司令官の地位を得た。ガリア貴族層を主たる支持基盤とした彼は,436年ころフンの援軍を得てブルグントに壊滅的打撃を与える(この戦いがのちに《ニーベルンゲンの歌》の素材の一つとなった)など,ガリア防衛に功績を残したが,ブリタニアからの援助要請にこたえることはできず,またアフリカもバンダルの手に落ちた。451年にはローマとの敵対政策に転じたフンの西進を,西ゴートとの連合軍を率いてカタラウヌムの戦で撃退した。453年アッティラ王の死でフンの勢力が瓦解すると,ウァレンティニアヌス3世はアエティウス除去を決意し,454年9月謁見中にみずからの手で彼を殺害した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アエティウス」の意味・わかりやすい解説

アエティウス
あえてぃうす
Flavius Aëtius
(390ころ―454)

西ローマ帝国末期の将軍。ブルガリア地方のローマ系貴族の家に生まれ、若年のころ西ゴート人やフン人のもとに人質となった。425年ガリアの軍司令官に任ぜられ、以後約30年、侵入する異民族からガリアにおけるローマの支配権を守るべく奮戦皇帝ウァレンティニアヌス3世のもとでパトリキウスやコンスルの称号を帯び、帝国の実権を握った。451年、アッティラ指揮下のフン人の侵入を、西ゴート人、フランク人などの援助によりカタラウヌムの戦いで撃退した。息子ガウデンティウスを皇帝の皇女と結婚させようと望んだため、ローマ貴族の反感と皇帝の不信を買い、暗殺された。彼の死後、帝国のガリア支配は急速に弱体化した。

[平城照介]

『P・クルセル著、尚樹啓太郎訳『文学にあらわれたゲルマン大侵入』(1974・東海大学出版会)』『P・リシェ著、久野浩訳『蛮族の侵入』(白水社・文庫クセジュ)』『L・アンビス著、安斎和雄訳『アッチラとフン族』(白水社・文庫クセジュ)』

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アエティウス」の解説

アエティウス
Flavius Aetius

390~454

西ローマ帝国の将軍。451年フンアッティラライン川を渡ってガリアに侵入すると,西ゴート族と結んで,カタラウヌムの戦いでこれを破った。

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百科事典マイペディア 「アエティウス」の意味・わかりやすい解説

アエティウス

ローマ帝政末期の将軍。ゲルマン諸族の侵入を防ぎ,奴隷反乱を鎮定するなど衰退していく帝国のために奮闘。451年カタラウヌムの戦アッティラを破った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アエティウス」の解説

アエティウス
Flavius Aetius

390ごろ〜454
西ローマ帝国の将軍
451年カタラウヌムでアッティラの軍を破り,フン族のヨーロッパ制覇の野望をくじいた。

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世界大百科事典(旧版)内のアエティウスの言及

【アッティラ】より

…このためビザンティン帝国は和平のためにアッティラに莫大な賠償金を約束した。451年アッティラの軍はガリア地方に大挙侵入したが,カタラウヌム平原でアエティウス将軍の率いる西ローマ帝国軍と西ゴート・ブルグントなどの諸族の連合軍に大敗北をこうむった(カタラウヌムの戦)。452年アッティラは北イタリアをじゅうりんし,アクイレイア,パドバ,ミラノなどの都市を陥れて,西ローマ帝国から莫大な賠償金を取って本拠地のパンノニアに帰ったが,まもなく病死した。…

【ウァレンティニアヌス[3世]】より

…ホノリウス帝死後ローマ市に立った簒奪帝ヨハンネスが東ローマ軍に倒されたのち,6歳で西帝となる。母ガラ・プラキディアの後見を受けていたが,ゲルマン諸族が帝国西部を蹂躙する時代にあって,統治の実権は有能な武将アエティウスに奪われた。454年そのアエティウスをみずからの手で殺害し,統治権を回復すべく精力的に行動したが,翌年アエティウスの部下により殺害された。…

【ボニファティウス】より

…その後ラベンナ政府とは和解した。432年イタリアへ戻り,アエティウスの勢力強大化を憂えるガラ・プラキディアからパトリキウス称号を授与された彼は,アエティウスと戦って戦闘には勝ったものの,その時の負傷がもとで3ヵ月後に死去した。【後藤 篤子】。…

【ローマ】より

…この間にガリアのアルモリカでは農民反乱であるバガウダイの乱が鎮圧されず,ブルグント族もライン下流を渡り進出し,ガリアに入った。ローマの将軍アエティウスはフン族にブルグンドを討たせて2万人を殺戮した。そのフン族もアッティラ王の下に大軍をもってガリアに攻め入ったので,アエティウスは少数のローマ正規軍のほかガリア定住の同盟部族,個別的定住の異民族(ラエティ)を総動員し,451年カタラウヌムの戦でこれを退けた。…

※「アエティウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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