改訂新版 世界大百科事典 「アジャンター」の意味・わかりやすい解説
アジャンター
Ajaṇṭā
インド西部,アウランガーバードの北東約100kmにある仏教石窟で,1819年狩猟に来たイギリス軍人によって偶然に発見された。その豊富な壁画のゆえに,インドで最も有名な遺跡の一つである。ワゴーラー川の浸食によって大きく湾曲する断崖の南壁に未完窟も含めて大小30の石窟があり,下流の東端から順次番号が付けられている。第9,10,19,26,29の5窟が祠堂(チャイティヤ)窟,残りが僧院(ビハーラ)窟である。造営は前1世紀に始まり2世紀からしばらく中断された後,5世紀末期に再開され7世紀まで続いた。木造建築の面影を強くのこした重厚な第10窟が最も古く,正面に障壁を掘り残しプランも長方形になった第9窟は次の発展段階にある。僧院である第8,12,13,15A窟も同じころのもの。以上の紀元前後の第1期窟は,構造も簡素で彫刻による装飾もほとんどない。ただし第9,10窟の浮彫や壁画の仏像は第2期に付加されたものである。5世紀末期から7世紀の第2期には,石窟の構造が整備され,彫刻や壁画によって華麗に飾られるようになった。そのうち第16,17両窟には,バーカータカ朝のハリシェーナ王の治世(5世紀末期)にその臣下によって造営された旨の刻文がある。バーカータカ朝は,4~5世紀にインド古典文化の黄金期を築いたグプタ朝と姻戚関係を結んだこともあり,第2期の彫刻や壁画にはグプタ文化の反映が認められる。彫像では各僧院窟の本尊である仏座像,祠堂である第19,26窟の内外にことに数多く刻まれた仏像,第19窟外壁の竜王夫妻,第16窟広間天井の梁の男女の飛天や力士,第26窟側壁の長大な〈涅槃〉や〈降魔成道〉の説話図浮彫などに見るべきものがある。それらの衣褶をまったく表さない典雅な表現はサールナート派の仏像に近いものの,肉付けに固さがありやや均衡を欠く。そのほか入口の周縁,柱,長押などの浮彫装飾もみごとで,壁画とともに窟内をいっそう華麗なものとしている。
壁画は約半数の石窟に描かれていた痕跡がある。第9,10窟側壁の壁画は,紀元前後にまでさかのぼる仏教絵画最古の遺品であり,彩色は平板なものの形態の把握は的確である。しかし剝落や落書でひどく傷んでいるうえに煤で黒ずみ,はっきりと見えないのは惜しまれる。壁画が特に豊富にのこっているのは第1,2,16,17窟で,断片的には第6,7,9,10,11,19,21,22,26窟にもあり,5世紀末期から6世紀に描かれたと考えられている。技法は,荒削りした岩面に泥土を塗った上に石灰で下地を整え,それが乾いてから膠や樹脂を接着剤として描くテンペラ画である。おもな顔料は,赤,黄,青,緑,白,黒で,煤を用いる黒色のほかはすべて鉱物質であり,青色の原料ラピスラズリはアフガニスタンから輸入したと思われる。描法は,まず赤い線で下絵を描き,かなりの速筆で何本もの線を引き構図をきめているところがある。そして彩色をほどこしたあと輪郭線にそって隈取りをつけハイライトの部分には明るい白色を用いて,肉体の丸味と微妙な凹凸を表現している。主題は,仏や菩薩などの尊像画と本生譚(ジャータカ),仏伝,譬喩説話(アバダーナ)などの説話画とに大別することができ,説話画が圧倒的に多い。また天井には動植物を主とした装飾文様が描かれている。説話画は,話の順序に従って場面を配置せず,屋内,屋外といった舞台ごとにまとめる傾向があり,場面と場面の間に明確な仕切りを設けない。さて第2期の壁画のうち最も古いと考えられる第16窟のそれは,保存は良くないが穏やかで品位のある表現で,特に左廊の〈ナンダの出家〉が傑出している。次いで第17窟には,窟内はもとより正面廊にも鮮やかな壁画が最も豊富にのこっている。6世紀初期と考えられる第1窟の壁画は,華やかな彩色と優れた技法になり,アジャンター壁画の頂点に立つ。奥壁の仏堂左右に1体ずつ描かれている蓮華を持つ菩薩はことに有名である。第2窟の壁画は,表現がややきつくなり,これら4窟の中では最も遅い制作であろう。
アジャンター壁画は,まとまった形で現存するインド唯一の例であり,しかもインド古典文化の絶頂期に描かれたもので,仏教絵画の源流としてきわめて貴重である。
執筆者:肥塚 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報